私は誰か?(11)

11.
「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?

他の想念が起こっても、それを追いかけることをやめ、「この想念は誰に起こったのだろうか?」と尋ねるべきである。どんなに多くの想念が起ころうとかまわない。想念が起こるたびに「この想念は誰に起こってきたのか?」と入念に探究すべきである。それに対して現われる答えは「私に」だろう。そこですぐに「私は誰か?」と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるだろう。このように修練を繰り返せば、心は源にとどまることに熟達するだろう。微細な心が脳や感覚器官を通って外に出ると粗大な名前や形が現われる。心がハートの中にとどまっていれば名前と形は消え去る。心を外に出さずにハートの中にとどめておくことは「内にあること」(アンタール・ムカ)と呼ばれる。心をハートから外へ出させることは「外へ向かうこと」(バヒール・ムカ)として知られる。このように、心がハートの中にとどまっているときすべての想念の源である「私」は消え去り永遠に存在する真我が輝き出す。人は何をするときにも「私」という自我性なしにそれをすべきである。もしそのように行動すれば、すべてはシヴァ神の本性として現われるだろう。


解説

「私は誰か?」という問いは、この想念の世界を終わらせる最後の問いになるだろう。
そこに至るまでにたくさんの想念が起こってくるのを経験することだろう。世界の見え方、現象の解釈、人や出来事に対する価値判断、という様々な考えを経験するだろう。不安、安心、悲しみ、喜び、苦しみ、満足、幸せ、快感、というような感情、そしてその複雑な組み合わせを経験するかも知れない。
どの想念が起こっても、それに囚われず、巻き込まれず、追いかけず、ただ「そう考えているのは誰か?」と問い続けることだ。どんな考えもだ。どんな考えも例外なく「そう考えているのは誰か?」と問い続けること。
この問いをするたびに現れる答えは「そう考えているのは私だ」だろう。全ての想念が私の中に現れていることに行きつく。そこからは「私は誰か?」という問いを続ける。これを繰り返せば想念・心が静まり、心の源に行きつく(心の源の位置は、この想念世界ではハートの位置にあると言うが、これも想念だ)。
心は脳を中心とする感覚器官を通ると、形や大きさ、時間や空間という想念を作り出し分類し名前をつける。さらに体や考えが私であり、私が世界に取り囲まれているという複雑な想念を作り上げる。
全ての想念が起こるとき、「そう考えているのは誰か?」「私は誰か?」と問い続けること。それによって「私」という想念も消え去る。それが全ての想念の終わりだ。
想念で覆い隠せれていた真我は自ずと姿を現し、輝き出す。

原文
What is the means for constantly holding on to the thought ‘Who am I?’ 

When other thoughts arise, one should not pursue them, but should inquire: ‘To whom do they arise?’ It does not matter how many thoughts arise. As each thought arises, one should inquire with diligence, “To whom has this thought arisen?”. The answer that would emerge would be “To me”. Thereupon if one inquires “Who am I?”, the mind will go back to its source; and the thought that arose will become quiescent. With repeated practice in this manner, the mind will develop the skill to stay in its source. When the mind that is subtle goes out through the brain and the sense- organs, the gross names and forms appear; when it stays in the heart, the names and forms disappear. Not letting the mind go out, but retaining it in the Heart is what is called “inwardness” (antar- mukha). Letting the mind go out of the Heart is known as “externalisation” (bahir-mukha). Thus, when the mind stays in the Heart, the ‘I’ which is the source of all thoughts will go, and the Self 

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

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