シンプルに食べる

eat simple

最近は、料理番組やグルメ番組が流行り、街には様々な種類の飲食店が建ち並んでいます。スーパーにはあらゆる種類の食品が並び、インターネットでも時間や場所を問わずどんなものでも手に入れられます。様々な商売・産業が、美味しいものを食べることを求めている人をターゲットにしています。
しかし、このグルメ市場はもう終わりだと感じます。

食事というのは命を頂くこと。動物や植物の命を私たちが頂いて生命を維持しているということ。
多くの人が、このことを思い出し始めています。美味しいもの(前頭葉を刺激するもの)をより多く食べることが、様々な問題を引き起こしていることに気づき初めています。

多くのモノで溢れた部屋と同様、余分な量と余分な味付けの食事は、様々な問題を引き起こします。部屋が掃除ができなくなり、ゴミ・汚れ・ホコリ・臭いで一杯になるように、体も同じように余分なものが溜まり、心臓疾患や脳卒中、鬱や不安、その他様々な問題を引き起こします。

シンプルに食べる、自分に必要なものを必要な時に食べるのがよいでしょう。余計なものを食べなくなると、今の自分に合った栄養を含んだ食事というのが分かってきます。自分の体内センサーがしっかりと働くようになります。生命エネルギーに乏しい食事をしなくなるでしょう。刺激だけの炭酸飲料やジャンクフードから離れるでしょう。加工された食品も本当に美味しいとは感じられなくなります。
そして、食事というのは食べる「モノ」ではなくて、自分の命を支えてくれる「命」だと理解します。

食事は授かり物です。以前に生きていた命を頂いているのです。
食事は私たちがその後に生きるための生命エネルギーを供給してくれているのです。
ですから、食事をするときは、命に対する感謝の気持ちと同時に、その頂いた生命エネルギーを大切に有意義に使おうという気持ちが湧いてきます。

シンプルに食べることは、自分自身を大切にするだけでなく、生命全体をも大切にすることになるのです。

ありがとうございます。

 

 

シンプルな方法
シンプルに話す
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シンプルに話す

talk simple

私たちの生活の中でも高度なコミュニケーションの方法が話すということです。

自分がどんな言葉使いをしているのか観察したことがある人は、あまりいないのではないでしょうか。おそらく話すことを職業とする人くらいでしょう。

不要なモノを手放すことと同じように、不要な言葉使いというものを、一度は考えてみるとよいでしょう。

モノを処分する時、最初はゴミを捨てるところから始まりますが、言葉使いについても捨てるべきゴミ同様のものがあります。

その捨てるべき言葉使いは

1、嘘、偽り。

2、陰口、二枚舌。

3,悪口、誹謗、中傷。

4、無駄口、噂話、世間話。

例えば、言葉を相手に与えるプレゼントだと考えてみましょう。

嘘、偽りを与えるでしょうか。正直さ、誠実さのプレゼントのほうがよいでしょう。

陰口,二枚舌、悪口などより、尊重する言葉、和解の言葉、友好的な言葉使いが役に立つのではないでしょうか。

噂や世間話は、無駄以外の何者でもありません。

上の4つの言葉使いを手放すだけで、どれだけ話の内容が深い意味を持ち、どれだけコミュニケーションを調和へ導くか分かるでしょう。不要な言葉使いを手放すだけで、話す言葉が意味のあるものとなり、真実を表現するものになります。本当の自分の考えや意思に近づくものになるのです。


 

シンプルな方法
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シンプルに考える


think simple

モノとのシンプルな関係がモノを手放すことから始まるように、「シンプルな考え」も不要な考えを手放すことから始まります。
不要なモノといのは、そう判断するのも手放すのも、目に見えるので比較的簡単に分かります。置きっ放しとか、ホコリが被っているとか、目に見えるので比較的楽に判断ができ手放せます。モノを手放すことが進むにつれて、自分とモノとの調和した関係ができてくるのです。
モノとの調和した関係ができれば、考え方も調和したシンプルなものになるのですが、一体そこではどんな考えや思いを手放していくのでしょうか。

不要な考えとは次のようなものです。

1、怒り。
もしもこの怒りというのが目に見えたら、かなり強烈でしょう。暴れて部屋中を打ち壊している感じです。頭の中はグチャグチャになっている状態です。これは片付けや整理整頓以前の問題ですね。手放したほうが良いでしょう。

2、先入観、偏見、決めつけ。いろいろなものがありますが、そのような種類の考えです。
例えば、他人が何かを持っているから自分もそのモノを持っているとなると、それは使わずに部屋や倉庫でホコリを被り、私たちの住居を汚すことになります。
同じように、先入観や偏見は実際の状況から離れた考え方なので、使えない考えなのです。私たちの頭の中の不要なゴミとなってしまうのです。これを手放せば、私たちの頭の中はスッキリします。

3、過剰な欲求。
あれもしたいこれもしたい、あれも欲しいこれも欲しい。モノと同じように考えというのは私たちの心の部屋に置かれます。いろいろなもので埋め尽くされている部屋では様々なモノに注意が移り、落ち着かないように、過剰な欲求は頭の部屋でも調和を失い、自分が何をしたいのかが見えなくなります。

4、不平、不満。
自分が作り上げている状況を他人のせいにする、被害者意識です。モノが不要だと知りながら手放さない人です。そして自分が変われないのもモノのせいにする人です。何も進まない考え方です。決心して前に進みましょう。

5、憎み、恨み。
モノで例えると、部屋がモノで溢れているというよりは、「ゴミ」で溢れている感じでしょうか。そしてそのゴミを他人の部屋に投げ入れる行為です。

6、後悔。
不要なモノを捨てないで、捨てられない理由を無理に考え出しているようなものです。大切なことに注意を向けられなくなります。捨てましょう。

7、ためらい、躊躇。
モノを使うかも知れないと取っておく行為と同じ。結局無駄になります。次のステップに進みましょう。

ここに挙げた考え方を手放すと、次第にシンプルに考えるようになるでしょう。
シンプルな考えもモノと同様に手放すことから始まります。

 

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シンプルに見る

see simple

私たちの社会はモノや情報で溢れかえり、自分たちの環境を正面から見ることをあえてさせないようになっています。ちゃんと見てみると異常なことは一目瞭然なのですが、スッキリした社会になると一時的に損をする人たちがこれをさせないように脅したり刺激したりしています。

私たちの家の中も余分なモノで溢れ、そのグチャグチャな環境を見たくないので、敢えて考えない習慣がついていました。

しかし、不要なモノを手放し周囲がスッキリとしてくると、モノの一つ一つの性質が見えてきます。これまで見ようとしないで避けてきた状況を見ようとする態度ができてきます。そして、モノの在り方が見えてくると同時に、今まで習慣的に行ってきたことや考えてきたことにも違った光が当てられます。

これは何のためにここに在るのか。これを所有し使うことは私たちにどんな影響があるのか。なぜこれを持っていたいのか。これはここにあるのがベストなのか。そのような疑問が自然と湧いてきます。

おそらくこの辺りでは、使っているモノや必要なモノが手元に残っているのが一般的でしょう。しかし、ここで質問です。

使っているモノは手放さないほうがよいのか。

自分から見たら、使っているモノは確かに持っていて良いはずです。でも、その自分が使っている理由は何でしょう。必要のない欲求からそれを使おうとしていることはないでしょうか。

この段階にくると、自分の視点およびモノからの視点を超えて、自分とモノとの関係性が何によって成り立っているのかが見えてきます。

私の場合は、持っていたいと思っていたはずのモノに対してある違和感を感じ始めました。頭ではそれを持っている完璧な理由がきちんとあり、それを計画的に使っているのですが、どうしても気持ちの中に嫌なムズムズ感というのでしょうか、そういう感覚があるのです。考えている頭と心が、あるいは頭と体が一致していない感覚です。理性的な観点から見て正しいと思っていたことが、心の奥底ではそうではない、あるいは体そのものが否定しているのです。

私は違和感のあるモノは手放しました。頭では持っているべき理由だと思っていたのは、欲求が作り上げた「理由」と名付けられた「言い訳」なのです。人の持っている価値観や理由というのは、過去の経験を材料にして頭の欲求が作り上げたものです。そこから見た今ここは純粋に経験することができません。現代の多くの人の生活に現れているように余計に物事を複雑にします。

理屈を手放し、心の目で物事を見るようになると、敏感なセンサーがきちんと機能し始めます。その時の状況に調和した見方ができるようになります。自分と自分以外とが一体となった見方になるのです。物事を一瞬にしてシンプルに見ます。

モノを手放すことは、そのようなことにもつながっているのではないでしょうか。

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