感謝の方法

感謝するというが、いつ感謝するのか、と疑問を持っている人が多いようです。

私たちは生かされている、という意識を持っていても、人と話していたり、仕事をしていたり、歯を磨いていたり、運動していたり、その他の生活の行為の中で、感謝を意識するのは難しいと感じることもあるでしょう。

感謝の仕方を簡単に説明すると、自分の見聞きし感じているものは自身の在り方の鏡なので、その鏡を通して認識した自分の状態すべてに対してありがとうを言ってしまいましょう、ということなのです。

食事をしたら、いつもおいしく食事ができてありがとう。トイレに入ったら便器に向かってありがとう、そしてきれいに掃除をしましょう。鉛筆を使ったらありがとう。部屋から出る時もありがとう。何かを使ったときは全てのものにありがとうですね。

ありがとうが深くなると、使ったものが作られた過程にあるすべての物事・人にありがとうが言えるようになってきます。例えば、食事をしたら食物に命をいただいてありがとう。それを育てた農家の人にありがとう。加工した業者の人にありがとう。それを食卓に届くようにしているシステムにありがとう。それを支えている社会や国にありがとう。ありがとうは無限に広がります。

慣れてくると、知覚できるものすべてにありがとうが言えるようになっています。何もやっていないときはこころの中でありがとう。

心臓は

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」

と鼓動していると思ってしまいましょうね。

ありがとうございます。

こころのツケを清算

今ここに生きるということは、起こることすべてを「ありがとうございます」と受け止めることです。

私たちは普段、自分にとって都合のよいことはありがとうを言えますが、嫌いなこと、いやなこと、都合の悪いことなどにはありがとうを言うことはありません。
そうしていることでうまく悪いことから逃げていると思っていては大間違いです。都合の悪いことから逃げることによって、逆に「今ここ・感謝」から離れてしまいます。そして、その習慣が新しい複雑な習慣を、それも「今ここ・感謝」からどんどん離れていく習慣を作り上げてしまうのです。
今ここ・感謝でいるには、どんなことにも正面から取り組むことです。どんないやなことからも逃げないことです。いやいややるのもダメです。感謝感謝で取り組むことです。

そんなことをしたら、自分が押しつぶされてしまう、と言っている人、今までそう言って今ここで感謝しないから、今ここから逃げていたツケが回ってきているのに気がつかなければなりません。
取り組んで解決できない問題など本当はないのです。私たちが今ここ・感謝から離れた結果、自ら問題を複雑にしているのです。逃げた分だけまとめて返ってきます。今ここで支払いをしなければ、後でまとめて口座から引き落とされるのは当然です。
心や魂の仕組みも支払いやローンの仕組みと同じです。いえ、逆に支払いやローンの仕組みのほうが、心や魂の世界の映しなのです。これまでの金融システムが崩壊しているということは、こころの世界では、もうすでにそのシステムは崩壊しています。もうすぐ清算もできなくなるでしょう。魂の自己破産です。
こころのツケを清算しましょう。こころを清くしましょう。
清算方法は、「今ここ・感謝」です。他に方法があったらまた紹介いたします。

ありがとうございます。

本当の先祖供養

昨今、先祖供養をどのようにすればよいのかと悩んでいる人が多いようです。

人間関係、過去未来、先祖神々、これらすべて今ここの在り方の問題なのです。先祖供養も人間関係と同じように、相手のことは変えることはできません。変えられるのは自分の在り方・思い・行動・言葉だけです。それによって相手がどう変わるかは相手の問題なのです。

先祖供養も、自分を取り巻くあらゆる関係や環境と同じように、私たち自身が今ここで感謝の気持ちで幸せに生きているかどうかにかかっているのです。それを見て先祖の霊が変わるか変わらないかは相手の問題です。私たちにできるのは、今ここで感謝の気持ちでいられるかどうかなのです。私たち自身が今ここで輝けば、周りを照らします。自身で輝きましょう。

最後は結局、私たちが、今ここを、どれだけ自分自身で喜びを持って生きるか、だけです。仏壇や神棚、お墓や神殿は必要ないのです。すべては今ここ。

私たちの世界では時間というものを作り出しているので、こことあそこ、今と未来や過去が別々のものに見えますが、究極の世界では、今ここしかないのです。それさえ知っていれば、先祖や子孫、別の場所についての心配はいらないのです。
ですので、今ここで感謝の気持ちで在れば、それは全てを癒します。過去未来、先祖子孫、人間関係、すべてを癒します。
そして、自身については、その在り方から自然と具体的な行為というのが生まれてくるでしょう。

ありがとうございます。

必要なもの

私たちに必要なものは、今ここにすべてあります。自分の在り方の根拠を、自分から離れたところに置けば置くほど、うまくいかないでしょう。

今ここ、私たちが今いるところで、今見ているものに感じていること、今起こっていることに感じていること、それがすべてを教えてくれます。私たちの在り方を映し出してくれています。映し出されていることを見れば、私たちがこれからどんな在り方に変えるか、どんな行動をとるか一目瞭然なのです。
今ここに、必要なものはすべてがそろっています。すると、自然と感謝の思いが湧きあがってきます。ありがとうございます、と。
今持っているもの、体の状態、一緒にいる人たち、与えられている仕事、すべてに対して感謝の気持ちが湧いてきます。

「今ここ」と「感謝」はセットですね。

今ここに、生きていることに、ありがとうございます。

こころの掃除

これまでの時代、多くの人は、自分の行為が世界に対してある影響を与えるということを知っていいましたが、それと同じ意味で、自分の思考と感情が世界に対して影響を与えるということを知りませんでした。
しかし、これからの時代(もうすでに始まっていますが)、人々は自分の思考や感情が世界に影響を与え、それが自分に返ってくるということに気付き始めています。それは心が物質と合わさる時代、あるいは心が見える時代とでもいうのでしょうか。心の状態の結果が以前よりも早く現れる時代になってきます。思いが瞬時に物質になると言ってもいいでしょうか。
そういう時代になってきているので、身の回りを綺麗にすると同時に、心を綺麗にすることに気をつけている人が増えてきてます。そして一部の人はそれが自分だけでなく世界を変えるということにも気づいています。
庭に咲く一輪の花が、庭全体を輝かせるように、一人が輝けば、その場にいる人すべてを輝かせます。

あわてずに、まずは身の回りの整理整頓・掃除。それができるようになったら、心の掃除です。いちばん簡単なのは、自分に向ってくるすべてのことに感謝の気持ちを養うことでしょう。そして自分が気付いたことは自分から動くことです。そして、その機会を与えられたことを感謝します。

生きて肉体を持っているからこそ、こんなことができるのでしょうね。

ありがとうございます。

上下左右前後が鏡

前回、掃除はミタマ磨き、ということについて書きました。
なぜ、自分の周りを磨くことが、自分の中を磨くことになるのでしょうか。それは世界というのは、私たちが見ている見方そのものを映し出しているからです。世界というのは無限ともいえる現象の組み合わせと考えられます。その中からどの現象を見ているのかということが、まず自分自身の在り方の方向を表しています。そして、その見ている現象をどう判断しているのかもまた自身の在り方を表しています。すると、ただ自分が何をどう見ているのかを観察するだけで、今自分がどんな人間で在るかが分かるのです。鏡ですね。

そう見ると、実際の掃除から一歩進んで、自分の家庭や社会での在り方からミタマ磨きができるようになるのです。理想はすべての状況をよしとすることでしょう。よろし、ゆるし。すべての状況とは、今の人間関係・状況、すべての存在・細菌ウィルスから植物天体まで、そして根源神その他諸々の霊魂。これらすべてをよしとする在り方なのでしょう。

これで、上下左右前後の鏡ですね。その交点で中今に喜びで生かされている自分を見出すのです。

いつも、ありがとうございます。

御魂磨き

最近、掃除にハマっています。
掃除をすればするほど、気持ち良くなり、もっともっと身の回りを綺麗にしたくなります。最初は読み終わった大量の本の処分から始まったのですが、段ボールに何十箱も処分することになり、古書店に運ぶのに相当な運動量になりました。すると、爽快感が残り、もっと綺麗にできる、もっと綺麗になる、もっと綺麗にしたい、と思うようになりました。まずは本棚の整理をし、着なくなった服の整理、履かなくなった靴やつけなくなった香水を人にあげ、今まで目が届かなかった場所の掃除、引き出しの中身の整理、文房具の整理、机の上にはなるべく物を置かないように気をつけ、使ったものは元に戻す習慣をつけ、そして、トイレは便器に手を突っ込んで磨く。使ったものには感謝を気持ちを込めて「ありがとう」を言う。

大切な、大好きな、頻繁に使うものだけに囲まれると、生活が気持ちの良いものになってくると思っています。掃除を続けて気がついたのは、掃除は御魂磨きだということ。磨けば磨くほど、自分のまだ磨き足りないところが見えてきて、磨いたところが汚れるとすぐに気がつくようになってくる。魂を磨くというのもそういうことなのでしょう。磨けば磨くほど、もっと磨くようになり、汚れに気がつくようになります。

人生のあらゆる体験が、ミタマ磨きなのでしょうが、もし生きるのに悩んでいる方がいたら掃除をしてみてください。続けていればきっと何かが分かるのではないかと思います。

でも生きているからこそ掃除ができるのでしょうね。
生きていることに、ありがとうございます。

今しかない

私は小さい時に、「時間はない」と思ったことがありました。
時計をじっと見つめて、もし未来があるなら、いつ未来が来るのかをじっと待っていたのですが、未来がずっと来なかったのを覚えています。未来は人間が考え出した幻想で、過去も同じく幻想だと気付きました。そこで時間というのはないのだ、今という瞬間しかないのだと思ったのです。

人間は未来にどんな状態になりたいのかという意識で今を生きていることが多いようですが、結局は今ここで、その在りたい状態に在るかどうかなのです。幸せになりたい、と思うなら、今ここで幸せだと思えるかどうかなのです。今どんな境遇であろうとも、それを幸せと感じられる、それが幸せなのです。

金持ちになったら幸せ、結婚できたら幸せ、昇進したら幸せ、家を持ったら幸せ、子供がいたら幸せ、というような諸々の条件は幸せを引き起こす原因ですが、その幸せな感情自体は自分自身の中に最初から存在していたのです。それに気づくと、もともと在るものなので、状況とは関係なく、今ここで「幸せだな~」と自身で感じればいいことなのです。
在り方、「幸せだ」という在り方、それが状況を変えるのです。こういう状況になったら幸せだ、と考えているのなら、順番を間違えています。この現実というのは人の意識が作っているのです。在り方が現実をつくっているのです。
幸せだ、と言っていると、幸せなことが起こります(起こることがすべて幸せなのですが)。○○が欲しい、と言っていると、欲しい状況を引きつけます(欲しいという在り方を続ける状態)。
思いと言葉と行動は、在り方から生まれます。その在り方から状況(の解釈)が生まれます。皆さんは普段どんな思い、どんな言葉使い、どんな行動をしていますか? それを見れば自分の在り方が即座に分かるでしょう。今自分が感じていることは自分の状態、在り方を映し出しているにすぎないのです。鏡。それに気づくとすべての思い・言葉・行動が愛の伴ったものになるに違いありません。
ありがとうございます。

中今に生かされている

最近、数人の著者の本の中に共通する内容を見出し、共感するので好んで読んでいます。
その共通する内容というのは、感謝。

人はこの3次元世界に生まれたときに肉体を持って(借りて)出てきます。その肉体はこの人生で初めて与えられるものです。肉体を与えられたことは最初の感謝ではないでしょうか。そしてこの世界のことを学んだり、経験したりするのはやはり肉体を通してです。肉体を与えられた感謝から次の感謝がが生まれてきます。

感謝=喜び、なので、この人生は喜びで満ち溢れているのです。

もし人生に喜びがなく不幸であるのなら、この最初の感謝を忘れているからではないでしょうか。最初の感謝(肉体をもって生まれてきた感謝)を忘れると、どんなによく見えても、それは必ず引っくり返ります。喜びは感謝以外のものからは生まれてこないからです。根源が感謝なのです。

いつも、「中今に生かされている」という感謝を頭に、胸に、腹に銘じて生きていくことです。それは喜びそのものになるのです。
生きていることに、ありがとうございます。

運がつく

今日は午前中で仕事も終わり、いつもならトレーニングかゴルフの練習に行くのだが、
昨日ふくらはぎを痛め走ることができないので、計画を変更し買い物に出かけた。
何冊かの本と、ビールをこぼしてべたべたになってしまったパソコンのキーボードの替わりを買いに。

午前中に汗をかいたので、きれいなシャツに着替え顔を洗い、気持ちよく出かけたのだが、
出発してすぐ、車の窓から何かが降ってきた。
肩に、ペシャ、と音を立てて。

で、でっかい、鳥のフン。。。。。。

シャツ、着替えたばっかりなのに。。。

しかし、待てよ、
先日見たDVD『トスカーナの休日』で、ダイアン・レイン扮する主人公が鳩の糞をひっかけられて、神のお告げ、とか言われて家を手に入れていたな。

運がつく、と解釈できるか(^‐^)

と、その後、肩に運コのシミをつけたまま、いろいろなところで買い物をした。
車の後ろの窓にもその時の他の糞が付いていたが、車にも運を、とそのままにしておいた。。。。

物事、考えようだな♪

☆☆☆☆☆