スッタニパータ44

44.
葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て、在家の束縛を断ち切り、健き人は、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

自分を取り巻く世界、ものごと、意味、という限定されたものにとらわれることをやめることです。世界、ものごと、意味、それらがあるということ自体がすべて、心が限定され、限定されたものにとらわれているということなのです。
世界や物事に対する意味づけをやめると、自分と世界がただ一つのものであることを知るでしょう。
心が何かを掴もうとするのをやめた時、すべてが通り過ぎ、心はすべてを経験し、すべてと一緒になることでしょう。

 

スッタニパータ43

43.
出家者の中にも不満を抱いているものがある。また家庭生活にとどまる在家者も同様である。他人の子供にかかわることをせずに、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

どんなにすごく見える人であっても、どんなに上の立場にある人でも、どんなに良い評価をされている人でも、その人が真理の中に在ることとは関係がありません。真理とは他人の中にはありません。全ては自分の中にあります。
外の世界や他人のことをいくら探っても本当のことは見つかりません。それは鏡の中に真理を見つけようとする努力するようなものです。自分がどんな在り方しているかが世界に映し出されているだけなのです。鏡に何かを探すののではなく、鏡を見て自分がどんな在り方を選んでいたのかを知るのです。
他人や世界の状況は、すべて全て自分のことです。意味づけ、そこにある意味とはすべて自分のことです。

世界を自分が創っていると知ると、状況に対する反応は終わるでしょう。
ただ心が、自分が作り出した世界をその心自体に映し出いしていることでしょう。

 

スッタニパータ42

42.
四方のどこに行くにしても安らかにいて、どんなものでもあるものに満足し、諸々の苦痛を恐れることなく乗り越えて、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

どこにいても、どのような状況にあっても、それに意味をつけているのは自分です。良いとか悪いとか、そのようなものはないのです。物事は起こるように起こっています。物事に対する意味づけや解釈は、過去のどこかで自分で作り上げたか、あるいは他人の意味づけを自分のものにしたことで、行っています。
何かが楽しいとか、何かが苦しいとか、そうした感情が起こっても、それは本当のものではないと知ることです。ただ自分が知らずにどこからか受け継いだ感情を起こしていると知ることです。
自分の思いは自分で作り上げていると知ると、そこから初めて真の創造、真の人生が始まるでしょう。
世界は自分の外に在るのではなく、自分が自分の中に自分の世界を生み出していると知るでしょう。

スッタニパータ41

41.
仲間の中にいれば、浮かれ騒いだり快楽に浸ったりする。また子供がいれば、それに対する情愛はとても大きいものだ。そのような喜びを与えてくれる者と別れることを厭いながらも、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

ただ浮かれ騒ぐだけのために他人と一緒にいるというのは、自分の中の不安を一時的には見ないようにすることはできるでしょう。しかし結局は、自分を見つめることになります。
自分の心を見つめると、ものごとは決して思い通りにはならず、起こるように起こっていると知るでしょう。起こっているものごとに対してどう思うのかは全て自分次第であると知るでしょう。
仲間や家族の中にいる時の感覚、またそれ以上に全ての状況に対する感覚というのは、過去の誰かの心が作り上げた幻想です。私たちはいつの間にか知らず知らずにその価値観を受け取って生きています。それらは全て好きなように作り直すことができますし、全てを捨て去ることもできます。
楽しみや快感は、過去の誰かの思いを受け取っていたことから起こっていると気づき、全てを手放した時、そこに真の自由があり全てが一体であると知ることでしょう。

スッタニパータ40

40.
仲間の中にいれば、休んでいる時にも、立ち止まっている時にも、どこかに行く時にも、旅する時にも、いつも話しかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

どんな仲間やグループであれ、その中にいる限りは必ず他人の価値観にさらされ続けることになります。他人や世界は自分の心の鏡なのですが、いつも鏡を見ている必要はありません。他人や世界が自分の心の写しだと知れば、他人や世界は必要がなくなります。結局は他人といようと一人でいようと全く同じことだと気づくでしょう。自分の心だけがある、と。
ただただ自分の心が作り出しているものに気がついていることです。全ては自分の心が作り出していることを知れば、世界というものはなくなり、自分自身もなくなり、全てが一体となるでしょう。そこにはただ「在る」ことだけが残るでしょう。

スッタニパータ39

39.
繋がれていない野生の動物が、森の中で食物を求めて思うがままに動き回るように、聡明な人は心に独立自由を抱き、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

真の自由というのは、心がどんなものにも執着しないことです。
どんなことであれ心がそれに執着しているというのは、執着している対象に囚われていて、そこに繋がれているということです。自分の心がどこに向いていて何に囚われているかを知ること、その囚われを捨てること、すると空虚に見えるその場所に真の自由が見出されることでしょう。真の自由こそが自と他が合わさり、全てが自身であると知ることなのです。

スッタニパータ38

38.
子どもや妻に対する愛著は、生長した竹の枝が他の竹の枝と互いに絡み合うようなものである。筍が他のものに絡み合うことのないように、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

人間関係の中で一番近い関係にあるもの、それが家族です。関係が近い分だけ家族は自分に近いもの、自分のもの、自分の所有物であるかのように思い込みます。
自分の肉体でさえ自分のものではないのですが、自分の肉体の次に自分のものであると思い込んでしまうもの、それが自分の配偶者や子供です。
自分の配偶者や子供も、それぞれがそれぞれの意識を持った存在です。自分の自由に生きています。ある意味で、家族でさえあなたとは関係なく自分の意識の中で生きているのです。ただそれぞれの人生の体験をするために、相手は自身の鏡として一緒にいるのです。
家族というのは、あなた自身のことを一番を映し出している鏡なのです。それを自身の現れと捉えないで、自分のものと思い込みコントロールしようとすると、結局は自分の人生をさらに複雑にしていくことになります。
自分に近い関係こそ、自分の自由になりそうなことこそ、それに執着しないことです。自分の心があらゆることから自由になり、自由になることが全てと一体になると知ることです。
全てを手放したとき、全てがあなたの中に流れ込むでしょう。

スッタニパータ37

37.
仲間や友人に共感し同情することによって、自身の目的を見失い心がとらわれてしまう。友人関係にはこの恐れのあることを観察して、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

親しい友人関係の中にいると、自分の中の不足感を見ないでおける状態に置かれます。楽しい時間の中にいるので、特に自分の心の奥底の不足感が見えなくなります。そこから離れた時に必ず自分の中に存在する不足感に気づきます。
その不足感・孤独感の中にあって、自分の中の完全性を見ていないと気づくことが大切です。その孤独感を満たすためにさらに友人との交流を求めることは、自分の中にさらなる不完全性を生みだし、また自分の外に幸せを探そうとする習慣を生み出すでしょう。
親しい友人関係の中で感じる幸せ感の中にこそ、自分が起こしている完全性の否定があります。自分では自覚していない自分自身の否定があります。
自分以外の物事と関係しながら自分の中の完全性に気づくとき、自分以外の物事が全て完全であること、全ては自分の心が生み出していること、一人で歩むということが、実は全てが一緒に歩むことだと気づくでしょう。

スッタニパータ36

36.
人間関係をもつと愛着が生じる。愛着の結果、今ここでの苦しみが生じる。愛着から様々な不幸が生じることを観察して、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

人は人間関係を通して様々なことを体験します。そしてそれらはすべて自身が全体として完全であることを思い出すために起こります。
自分の中に不足があると設定すれば、その不足を補うような人間関係を求めることになります。自分の中の不足は一時は満たすことができるかもしれませんが、関係性というのは常時変化しています。自分の中の不足を満たしていた条件は必ずなくなります。その条件に執着すると、不足を満たすための人間関係を永遠に求めることになり、それは永遠に満たされないため、永遠に自分の中の不足間に苦しむことになります。

自分の中の不足感を埋めていた人間関係は、真に自分の中にある満足感を思い出すきっかけでしかありません。すべての不足感は、自分自身の中に完全性を見出していないという現れでしかありません。人間関係の中に愛着や不足感を感じる時こそ、自分の完全性を関係性のせいにしてしまっていると知ることです。

人間関係から生じる不足感や愛着はすべて、自分の中の完全性の否定から起こっていると知ることです。すべては自分の心が作っています。
自分の完全性は自分自身の中にあると知るとき、人は完全に一人で歩むことでしょう。そしてそれこそが全てが完全になるときなのです。

スッタニパータ35

第3節 犀の角

35.
あらゆる生きものに対して危害を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも苦しめることなく生きるものは、自分の子孫が欲しいなどと思うことがあってはならない。いわんや仲間などはいらない。ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

生まれるとき、死ぬとき、人生の最初と最後を思い浮かべてみましょう。
実は、人はただ一人で世界を歩んでいます。他者や世界というものと関わり様々な体験をしているのですが、それは全て自分の心が作り上げているのです。ただ在るのは自分、自分の心だけなのです。
何かを良いと思うのも自分の心、何かを悪いと思うのも自分の心、仲間がいて満足するのも自分の心、孤独で不満だと思うのも自分の心、全てが自分たった一人が行っている作業なのです。
ただ、自分の心が唯一のものだと知ると、ただ一人で歩むことが全ての世界とつながるでしょう。