スッタニパータ5

5.

イチジクの樹々の中に花を探しても見つからないように、あらゆる状態の中に自己を探してもその存在が見えないならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

人は自分の存在の意味や証拠を、過去・現在・未来の中に見出そうとします。
自分はこんなことをした、自分はこんなものを持っていた、自分はこう思う、自分はこうなるんじゃないか、など。
自分とは何かと真剣に突き詰めると、自分というものが消え、観察の主体と客体を設定している「意識」だけが残ります。
意識が自分と自分以外を作ります。意識が自分と世界を作ります。意識が過去・現在・未来という時間を作ります。意識がこの世とあの世を作ります。意識がさまざまな道具を使って自分というストーリーを作ります。
作っているものと作られているもの、それら両方を合わせて「意識」なのです。
作るものと作られたものが同じものであると気づくこと、それが解脱であり悟りなのです。

スッタニパータ3

3.

激しく流れる川の水を枯らすように、欲望を跡形なく根元から断ってしまうならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

あれが欲しいこれが欲しいという欲望は、自分の心の中で不足感を設定することから起こります。自分で不足を作り自分でそれを満たそうとし、それがうまくいくと幸せになるという心の設定です。
それを続け、自分が設定していることを忘れてしまうと、自分で設定した不足が満たされない時には不幸になるということを起こします。

誰が不足を作り出したのでしょう。自分自身です。自分で作り出した不足感が欲望を生み出します。自分の外部に自分の内部を埋めてくれるものがあると信じてしまうのです。
もともと自分の中に不足はないのです。
自分に不足はなく満たすべきものなどない、そのままで完全である、と知ると、欲求を満たし続けようとする人生から離れます。
そして、すべてがこのままで完全なのだ、と知るでしょう。

スッタニパータ2

2.

水面に生える蓮華を水中にもぐって根茎から折るように、欲情を跡形なく根元から断ってしまうならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

自分の中から心から生まれる感覚的欲求を観察してみると、自分がその感覚的欲求に振り回されているのがわかります。自分が起こしている心(欲情)に自分が振り回されているとは、本末転倒ではないでしょうか。どちらが主人なのでしょうか。自分が心の主人ではないでしょうか。
自分がいつの間にか作り上げた心のプログラミングに振り回されているのに気づくことです。
心を観察してみてください。
誰がそれを起こしているのか?と