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スッタニパータ 73

73.
慈しみと、平静と、あわれみと、解脱と、喜びとを、時に応じて修め、世間すべてに妨げられることなく、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

全ては意識が創り出していると知る、自分の存在でさえ意識が創り出しています。
自分の存在が意識が創り出しているなら、その他の自分・身体、つまり他人が自分自身を自分だと思っていることでさえ意識・心が創り出しています。
しかし、それぞれの作り出された個々の自分・身体は、この世界では別々に存在するので他人と見なされます。
自分以外の他人、その他人が自分自身が創造物であることに気づいていない時、自分というのは創造されたものであることを忘れてしまったいる時、それに対する自分の感情は、それでいい、というものになります。
自分が意識から創造されたものであると気づいている時、他人が創り出したものに対しては、それでいい、そのままでいいというものになります。

そのままでいい、全ては意識・心が体験するために創造したものなのだから。
その時、自分が意識・心から創造されたものであると気づいている存在は、そうでない存在に対してさまざまな在り方を表わします。
悲しんでいる存在に対しては、慈しむことがそのままでいいという在り方になり、迷い苦しんでいる存在に対しては平静という在り方を示すかも知れません。
そして、全ては一つである意識・心が全てを創造し体験していることを知る存在に対しては喜びで応えるでしょう。

意識・心という創造主であり、それが自分を創造し、他人を創造していいると知っている時、創造されたものである他人やその他の生物、そして状況にさえ対して、全てはそれでいい、全ては完全だ、という在り方をするでしょう。

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