私は誰か?(14)

14.
数知れない過去生から蓄積されてきた心に刻まれたものごとの印象が取り除かれ、純粋な真我としてとどまることは可能でしょうか?

可能か、可能でないかという疑問に屈することなく真我への瞑想を続けるべきである。たとえ、人が大罪人であるとしても、「ああ、私は大罪人だ。どうすれば救われるのだろう?」と思い悩み、嘆き悲しむべきではない。「私は罪人だ」という想念を完全に棄て去り、真我への瞑想に強烈に集中するべきである。そうすれば、確実にうまくいくだろう。ひとつは善く、もうひとつは悪いという二つの心があるのではない。心はただひとつだ。幸運と不運の二種類があるのは、心ではなく心に刻まれる印象である。心が幸運な印象の影響を受けたとき、それは善と呼ばれ不運な印象の影響を受けたとき、それは悪と見なされる。
心は世間のものごとや他の人々に関することへさまよい出ぬよう戒められなければならない。他の人がどれほど悪くとも、彼に対して憎しみを抱かぬようにしなければならない。欲望と憎しみは、どちらも避けなければならない。人が他の人々に与えるすべては、実は自分自身に与えているのだ。もしこれらの真理が理解されるなら、人々に施しをしないでいられようか。自己が現われると、すべてが立ち現われ自己が静まれば、すべては静まる。謙遜を忘れないならば、それに応じてよい結果が現われるだろう。心が静寂に帰すれば、人はどこででも生きていくことができる。


解説
過去や過去生というものは、体や世界という想念と同じく、時間という想念の中で作られたもう一つの想念だ。それは過去の自分というものがいるという想念に囚われている自分がいるということだ。
「そう考えているのは誰か?」と問うことで、時間と空間という想念に囚われている自分に気づくだろう。
過去の不快な経験に囚われていたり、自我が強すぎるために感情的になるひとは、「そう考えているのは誰か?」という問いさえできないことがある。その時は瞬間に引き起こされる想念から離れ、より安心な想念に置き換えることから始める必要があるかもしれない。しかし、そのより良いと思われる想念もいずれは捨て去り、どんな種類の想念にも囚われないようにすることだ。
良い悪いという判断は、どんなものであれ自分が押し付けている想念である。それはただ自分の頭の中に起こっている想念だ。悪い想念を捨て去ることだ。そして、良い想念でさえも捨て去ることだ。
どんな壮大な、どんな偉大な、どんな神聖な想念でさえも、それは単なる幻想だ。全ての想念を捨て去ること。
真実でないものを全て否定し捨て去ること、それだけが真我が現れる方法だ。


原文
Is it possible for the residual impressions of objects that come from beginningless time, as it were, to be resolved, and for one to remain as the pure Self?

Without yielding to the doubt “Is it possible, or not?”, one should persistently hold on to the meditation on the Self. Even if one be a great sinner, one should not worry and weep “O! I am a sinner, how can I be saved?”; one should completely renounce the thought “I am a sinner”; and concentrate keenly on meditation on the Self; then, one would surely succeed. There are not two minds – one good and the other evil; the mind is only one. It is the residual impressions that are of two kinds – auspicious and inauspicious. When the mind is under the influence of auspicious impressions it is called good; and when it is under the influence of inauspicious impressions it is regarded as evil.
The mind should not be allowed to wander towards worldly objects and what concerns other people. However bad other people may be, one should bear no hatred for them. Both desire and hatred should be eschewed. All that one gives to others one gives to one’s self. If this truth is understood who will not give to others? When one’s self arises all arises; when one’s self becomes quiescent all becomes quiescent. To the extent we behave with humility, to that extent there will result good. If the mind is rendered quiescent, one may live anywhere.

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください