スッタニパータ18・19

第2節 ダニヤ

18.
牛飼いダニヤが言った、
「わたしはもうご飯を炊いて、乳も搾ってしまった。わたしはマヒー河の岸のほとりに家族とともに住んでいる。わたしの家の屋根はよく葺かれているし、火も点され続けている。神よ、もし雨を降らしたいと望むなら、降らせるがいい。」
19.
師は言った、
「わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿を借りるだけ。わたしの家の屋根の覆いはなくなり、欲情の火は消えている。神よ、もし雨を降らしたいと望むなら、降らせるがいい。」

解説

人というのは、世間的に比較して自分が満足のいく衣食住を揃えて、それがあるから安心だと感じる。そうでない人を見て優越感さえ感じる。しかし、その心の奥底は不安に満ちています。
今持っている財産、家族、人間関係、名誉、仕事、収入、健康、知識、能力など、自身の幸せがそれらに依存していると、それを失った時には不幸のどん底に落とされるでしょう。それに依存していることで、失う不安をいつでも持っています。それなのに、人はそれらの所有物を躍起になって増やそうとします。
何かが自分のものであるという考えは、一種の妄想です。自分のものなど一つもないのです。それらは人生の借り物・道具・預かりものです。人は生まれた時には何も持っていません。すべては、自身の体を含めて、預かりものです。借り物です。それを知る人は、自身が預かっているものに感謝することでしょう。預かっているものを大切に有効に使うでしょう。使い終わったら手放すことでしょう。自分よりもその預かりものが必要な人がいれば、喜んでそれを手放し譲ることでしょう。それらはすべて体験のために与えられた道具です。この世に何持たずに来た私たちにとっては、すべての物事は感謝の対象でしかないのです。
生きていること、そこに起こるすべてのことは感謝の対象なのです。

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