スッタニパータ59

59.
世間的な感覚を刺激する気晴らしや遊戯や娯楽に満足を感ずることなく、それらのことに関心を持つことなく、身を飾ることを離れて、真実を語り、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

自分の中に起こるあらゆる思いが、全てを創り上げている「意識」に戻る道になります。
自分が何かを楽しいと感じるとき、そこに引き込まれるのではなく、その感覚や思いは一体誰がそう感じているのかを追求することで、自分の大本を知る良い機会になります。
あらゆる思いや感覚、快不快、幸不幸、楽しさや苛立ち、満足感や不満感、どんな感覚でも、それを見つめ、それは誰がそう感じたり考えたりしているのかを知ることによって「意識」という根元に戻ることができます。
思いや感覚の対象、事件や状況というような自分以外のことを見ても、それは自分が創り上げたものを見ているだけです。それを創り上げているのは誰か、そちらのことの方が問題なのです。
創り上げられたものに関心を持つのではなく、それを創り上げている自分自身の考えや思いに関心を持つことです。一体誰がそれを思っているのか、一体誰がそれを創り上げているのか、それが全体である「意識」に戻る道になるでしょう。

 

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