スッタニパータ 24・25

24.
牛飼いダニヤが言った、
「私は自分の選んだ職業による収入によって自分を養っている。私の子供たちはみな一緒に住んでいて健康である。かれらにどんな悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らしたいと望むなら、降らせるがいい。」
25.
師は言った、
「私は誰からも雇われてはいない。みずから得たものによって全世界を歩んでいる。収入を得る必要もない。神よ、もし雨を降らしたいと望むなら、降らせるがいい。」

解説

自分で生きている、自分が自分を生かしている、そう思っていること自体が、自身を全世界と分離させ、自分を狭小なものに(自分というものに)限定しているのです。実は、自分という限定された自身の力で起きていることは何一つありません。生命・存在・全宇宙・真理・大いなるもの・愛(どう名づけても構いませんが)があるだけなのです。
あらゆる可能性がある宇宙、その場所に意識を置いているから体験というものが現れます。意識をどこに置くかということが自身の体験を決めているだけなのです。
自身が全生命であると知るとき、意識・心によって自身がどんな世界でも歩んでいけることが分かるでしょう。

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