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スッタニパータ 62

62.
水の中の魚が網を破って河の中で自由になるように、また火がすでに焼きつくしたところに戻ってこないように、世の中の様々な執着を引き裂いて、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

自由であること、それは自分がしたいことをするということではありません。自分の思った通りにするということではありません。
自由とは自分の心が創り上げたものから解放されるということです。あなた自身を含む全ての世界に対する解釈、反応、考え、それらは全て自分が創り上げたもので、それはいわゆる真実ではありません。それを捨てることです。自分が創り上げた世界観を手放すことです。自分というものがあるという思いさえ捨て去ることです。
自分というものがあるという思いを捨てると、そこから派生する考え、思い、解釈、反応、感情、それらが幻想であると知るでしょう。
自分というものがあるという根源的な執着を一度手放すと、自分というものが全体から分離したものではないこと、全体から離れた自分などというものはないこと、全体が自分、自分が全体であるということを知るでしょう。そして自分というものが変化する一つの観点、考え方でしかないということも知るでしょう。自分と同様、他人の観点、考えも変化する宇宙の一つの在り方であり、それも自分の一つの表れ、他人も自分、自分というものがない、自分も他人も同じ、ということを知るでしょう。
場所が違うと見る景色が違うように、ただ存在の視点が違うことが自分と他人というものを創り出しているということを知るでしょう。
自分という枠を破った時、全てが一体であること、自分が全てであると知るでしょう。

 

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