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信心銘(七)

本来の一体性の中に溶け入り、すべてに問題がなく、すべての存在があるがままであるなら、観念として意識される現実や原理というものなどない。
そのような観念がなければ、心そのものも生じない。
意識される現実がなければ意識する心はなくなり、意識する心がなくなれば現実もなくなる。
現実というのは心に捉えられることで現実であり、心というのも現実を捉えることで心として存在できる。
心とか現実とか両方を知ろうとするなら、それらはもともとは本来の一体性であり、ありのままなのであり、空なのである。

 

解説

自分の思い、感情を注意深く観察するとき、それらは意識するものと意識されるものを分離したものであり、すべて自分で創造したものだと気づきます。意識が心を創造し、心は現実と呼ばれるものを切り取り、現実に意味づけをすると考えや感情と呼ばれるものにまでなってくる。自分の心を徹底的に観察すると、そういったことを知るようになります。
外に現れる現実と中に現れる心は本来はひとつであり、意識の創造が体験というものを引き起こしていると気づくのです。現実というのは自分と分離したものではないのです。真の自分・意識が創造したものなのです。
意識が現実を創造しているのを知ると、自分や現実と思っていたものは、本来一体であり、自分や現実というものはもともとひとつのものであり、空であると知るのです。

原文

無咎無法 不生不心 能隨境滅 境逐能沉
境由能境 能由境能 欲知兩段 元是一空

 

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