私は誰か?(26)

26.
無欲と智慧にはどんな関係があるのでしょうか?

無欲が智慧である。二つは別のものではない。それは同じである。心がいかなる対象物に向かうことも差し控えることである。智慧とは、何の対象物も現われないことを意味している。言い換えれば、真我以外の何ものも求めないことが無執着あるいは無欲であり、真我を決して離れないことが智慧である。

解説
無欲というのは心が対象物に向かい、それに執着することだ。対象物というのは、物事、世界、感覚、感情、考え、私、これらの全てだ。これらの全てに心が向かうことを差し控えることが無欲だ。これは想念を手放すということと全く同じものだ。
智慧とは、心に実在ではないものが現れないことだ。実在ではないものが現れないとは、つまり、物事、世界、感覚、感情、考え、私、これらが現れないことだ。これらが心に現れないとは、真の実在である真我であることだ。
無欲・無執着と智慧は同じものだ。
どちらも実在である真我であることだ。

「そう考えているのは誰か?」と問い、想念を手放していき、「私は誰か?」と問うことで最後の想念が消え去る。
そして、想念が覆っていたものが現れるだろう。

原文
What is the relation between desirelessness and wisdom? 

Desirelessness is wisdom. The two are not different; they are the same. Desirelessness is refraining from turning the mind towards any object. Wisdom means the appearance of no object. In other words, not seeking what is other than the Self is detachment or desirelessness; not leaving the Self is wisdom. 

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

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