私は誰か?(6)

6.
なぜでしょうか?

見る者と見られている対象は、ロープと蛇のようなものである。錯覚である蛇という知識がなくならない限り実体であるロープという知識は得られない。同じように世界が実在であるという確信がなくならない限り実在である真我の実現は得られないだろう。


解説

世界が実在するものであるという考えは、暗闇でロープ見て、それを蛇と思いこむようなものだ。蛇がいると思い込んでいるうちは、それがロープだという真実は見られないだろう。
同じように、世界が実在すると思い込んでいるうちは、真我は現れないのだ。しかし真我は常にここにある。
世界は実在ではない。それが想念であると気づくこと。
それには、いつも「それを考えているのは誰か?」「私は誰か?」と問い続けることだ。


原文
Why?

The seer and the object seen are like the rope and the snake. Just as the knowledge of the rope which is the substrate will not arise unless the false knowledge of the illusory serpent goes, so the realization of the Self which is the substrate will not be gained unless the belief that the world is real is removed.

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

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