スッタニパータ15

15.

この世に還る転生の縁となる不安や恐れが全くないならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

時間と空間を作り上げている観念の中では、「今ここ」が過去の「今ここ」における自分の在り方の結果であり、「今ここ」の在り方が未来の自分の状態の原因になります。いずれにせよ、「今ここ」だけが自分の全時空に働きかけることのできる場所なのです。
「今ここ」で自分の判断分別による不安や恐れを持ち、それによって世界が作り上げられると、自分で人生における問題を作り上げ自分でその問題を解決するゲームを行うことになります。
「今ここ」での在り方が全てを作り上げていると知ると、無駄な不安や恐れを手放します。すると、それが生み出している因果さえなくなります。そして「今ここ」からも自由になるのです。

スッタニパータ14

14.

判断分別の潜在的な習性がなくなり、観念の根を引き抜くならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

人は世界を見るとき、自分が考えて頭を働かせていると思っていますが、それはほとんどの場合習慣的な心の反応で自動的なものです。過去に繰り返してきた考え方の習慣を繰り返しているだけなのです。
まず自分で作り出している観念が、自分を取り巻く世界として目の前に映し出されているのだと知ること。世界に対して何か判断したら、その判断こそが自分自信の心の現れだと知ること。それから、世界の中での自分の「行為・思い・言葉」が世界を作り上げていたと知ること。
それらを知ることと、自と他、時間と空間という制限から外れることは同じことなのです。

スッタニパータ13

13.

先に行き過ぎることもなく、後に遅れることもなく、「この世の一切のものは実在しない」と知り、無知蒙昧から自由になるならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

自分の心の現れである世界に対して判断や分別を繰り返すことや真実を追求して観念を増やしていくことは、自分と世界に対する最初の幻想をさらに複雑にし、幻想世界のループに入り込みます。
一切が自分が作り上げた観念世界であると気づいた人は、判断や分別から離れ、作り上げた幻想世界から離れます。
そして、そこには意識の一体性が現れます。

スッタニパータ12

12.

先に行き過ぎることもなく、後に遅れることもなく、「この世の一切のものは実在しない」と知り、憎悪から自由になるならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

怒りや憎しみは、最初は自我が自己保存のために起こるエネルギーの停滞、変化に対して抵抗することから起こるエネルギー停滞です。実は自我は自分で自分を否定していることを奥底で知っています。しかし世界(それは真の世界ではなく、自我が鏡としてみている世界)は、自分を否定する現象を起こします。それは目の前の人であったり世間の出来事であったりします。自分が自分を否定していることを確認させてくれるのです。自我を必要以上に守ろうとする人は、自分で起こしている自己否定の現象を見せつけられると、自我を守ろうとそれに抵抗し、それを見せてくれた人や現象を攻撃します。自分で起こしている現象の再否定、それが怒りや憎しみのメカニズムです。

自分とそれを取り巻く世界は自分が作り上げたものだと知る人は、その世界を肯定も否定もしません。自分が意識を向けている現象と共にあるのです。

スッタニパータ11

11.

先に行き過ぎることもなく、後に遅れることもなく、「この世の一切のものは実在しない」と知り、欲情から自由になるならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

感情から生まれる激しい欲求はより複雑な分離感を生み出します。自分というものがあるという思い込みがなくなると、あえてそのような分離感を生み出す必要がなくなります。
自分と世界の分離を終わらせると、残るのは自分も他者もない「一」なる意識だけなのです。

スッタニパータ10

10.

先に行き過ぎることもなく、後に遅れることもなく、「この世の一切のものは実在しない」と知り、貪欲から自由になるならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

自分の体と心が自分だと思い、自分と世界を分離させるのをやめると、自分というものの不完全さがなくなります。
自分自身が実体のないものだと知らないと、自分自分は不完全で何かが不足しているという感情を生み出します。自分という存在の不完全性を完全にしようとし、心の不足感を埋めようとすることが強くなればなるほど現れる欲求も強くなります。
自分の体と心が自分だという思いを捨てると、自分と世界の分離がなくなり、同時に不完全な自分、不足した自分というものが消え去ります。
一切のものは実在しないと知ることは、完全も不完全もない、不足しているものもない、と知ること、満たすべき何ものも存在しないと知ることです。そこに貪欲さはありません。

スッタニパータ9

9.

先に行き過ぎることもなく、後に遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知るならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

自分自身を自分の体と心だと同一視していることが、自分の周囲の世界が現実世界だと思い込む原因になります。
自分の体と心が自分自身ではないと知ると、作り上げられたすべての感覚世界が実体のないものだと分かります。自分の体と心が自分だと思い込むことによって、一切の世界が認識されているのです。
一切のものは、自分というものを設定することから起こる派生物です。自分というものは無く、真の自分(真我)とは、自分というものを設定しているそのもの、意識そのものなのです。
意識そのものである時、自分も世界も幻想であると知るでしょう。

スッタニパータ8

8.

先に行き過ぎることもなく、後に遅れることもなく、すべての妄想を乗り越えるならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

自分で作り上げている想念にさらなる観念を付け加えて、慌てたり、躊躇したり、喜んだり、悲しんだり、安心したり、不安になったり、期待したり、後悔したり。このような思いはすべて最初の想念から派生してきます。これらの思いがすべて自分の妄想だと知り、それを乗り越えるならば、自分という観念さえ妄想だと知り、存在の生成消滅のサイクルを捨て去るでしょう。

 

 

スッタニパータ7

7.

湧き上がる想念をことごとく焼き尽くし、心の内で断ち切るならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

自分が世界や状況だと捉えているものが自分自信の思いの現れだと知ると、自分が起こすどんな想いも真実そのものではないと知ります。自分が起こしている想念が自分の幻想世界を創っていると知り、それを止めると、真の世界、存在そのものが現れます。自分が見ていなかったけれど、もともとそこにあったものが現れるのです。
全ては自分や他者という分離したものではなく、それを生み出すものであり生み出されるものであり、有であり無であり、存在、意識そのものなのです。

スッタニパータ6

6.

心に内にいかなる怒りもなく、繰り返される存在の生成消滅を超越するならば、そのような求道者は、あの世とこの世を行き来する輪廻転生を捨て去る。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるように。

解説

心の状態は自分で作り上げていることを知ること。自分の心の中を自分で乱すことをしないこと。思い通りにならないことは自分の心が起こしていると知ること。状況に対して反応することは自分の心が作り上げていることを知ること。世界の見え方は全て自分の心の状態であると知ること。
そうすると、自分と他者を分離していた心が消え去り、自分という存在の生成消滅を超越し、意識という源にただ「在る」ことでしょう。