『道』から生じた天地の働きの中には、慈しみなどというものがあるわけではないのです。
万物が在るがままにしているのです。全てが生まれ死ぬのにまかせているだけなのです。
全てを許しているのです。
『道』に在る人も、万物をそのように扱います。
どんな存在に対しても、在るがままに任せ自由にさせます。
また、『道』から生じた天と地の間であるこの世界はまるで風を送り出すふいごのようなものなのです。
空っぽなのに尽きることがなく、動かすことによって無限に風を送り出すことができる。
空っぽの中から、万物が生まれでてくるのです。
人の在り方としても、口数が多すぎたり議論をしすぎたりすると,必ず行き詰まります。
中庸を保ち、こころを空っぽにし、相対性を超えた状態に在ること。
それが『道』にある人の在り方なのです。
解説
老子は、『道』というのは慈しみというような人間的な価値観の働きなどはなく、また冷酷さや無関心などというものでもなく、それは究極の自由、全てを許す自由だと言っています。人間の世界で起こっている理不尽さや慈しみなどというものは、ある種の執着なのです。第四章の内容を奥深い愛情表現と思っているとそれが違うということが分かります。そのような価値判断を全く超えたものなのです。
私たちの価値判断とは、結局私たちの在り方を表しているに過ぎません。老子は価値判断である言葉を使って、その言葉を手放すことを言っています。
言葉、価値判断,相対性を手放すと、そこにあるのは『今ここに在る』 という『道』だけ。
原文
「天地不仁,以萬物為芻狗;聖人不仁,以百姓為芻狗。天地之間,其猶橐籥乎﹖虛而不屈,動而愈出。多言數窮,不如守中。」