信心銘(五)

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本来の一体性に還れば本当のことを得られるだろう。
分別にとらわれると根本的なことを失ってしまうだろう。
分別している自分の心を少しでも観察できたなら、有とか空とかの観念を超えることができるだろう。
有とか空とかの観念がいろいろと変化しているように思えるのは、みだりに見解をつけるからである。
真実を求めようとするのではなく、判断分別の見解を止めなければいけない。

 

解説

心が生み出した世界を真実とみなして追求していっても、さらなる複雑性の中に迷い込むでしょう。
世界は心が生み出した観念であり、あらゆる物事が心が作り出した観念なのです。世界は自分が世界だとは言いません。物事は自分がそれぞれその物事だと主張しません。それらは全て心が生み出しているのです。

この現実と呼ばれているものを追求し分析しても、現実と呼ばれるものが心が作り上げたものだと知らない限り、追求し分析することによりより複雑な世界に入り込み、さらなる分類と定義の世界に迷い込むことでしょう。

現実という自分が認識しているあらゆることは、それらは一体なにがそう認識しているのか、その大元である心を見つめることです。
判断や分別の世界に迷い込まないことです。判断や分別はなにが作り上げているのか、それを知らずに判断や分別を真実とみなすこと自体がおかしなことなのです。
判断や分別を生み出しているのはなにか、そう思っているのはなにか、それを見つめることで本来の一体性が自ずと現れるのです。
一体性の中に、自と他は消え、それら全てを作り上げていた心だけがあるでしょう。

 

原文

歸根得旨 隨照失宗 須臾返照 勝卻前空
前空轉變 皆由妄見 不用求真 唯須息見

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