信心銘(十四)

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動とか止とかの二つの極が成り立たないのだから、どうして一などというものがあるだろうか。
極めて極め尽くせば、規則とか原則とかいうものはない。
比較のない平等の中に心を一致させるなら、何かをしようという動きがなくなり全てが静かになる。
疑いが全くなくなると、真の心が本来の一体性の中に調う。

解説

動とか止とか対立する二つのものは、自と他という観念と同様、意識が作り上げている。それなら、一という観念でさえ意識(心)が生み出しているのです。
そうすると、全ての観念や現象、規則や法則、素粒子や宇宙、それらは全て意識(心)が生み出したものであり、それに対して自身が意味を与えていることに気づきます。
自と他、動と静、良い悪いなど、対立する全てが意識(心)が生み出したものなら、そこから派生する全ては意識(心)が生み出したものなのです。

意識(心)が全てを作り上げていると思い出す時、観念の中に迷うことが終わり、自分と他という分離もなくなり、本来の一体性の中にただ在ることでしょう。

原文

兩既不成 一何有爾 究竟窮極 不存軌則
契心平等 所作俱息 狐疑淨盡 正信調直

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