スッタニパータ 61

61.
「これは執著の対象だ。ここでの楽しみはほとんどなく、満足感もほとんどなく、結局は苦しみの方が多い。これは釣り針だ」と知って、賢者は、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。

解説

自分の考え、心というのは、自分が使う道具です。自分の思いは自分で創っているのです。どんなことが起こっていてもそれに対する解釈・思いは自分が創っています。
それが苦しいことであっても楽しいことであっても、恨みや後悔、執着や中毒などが起こります。自分が創り上げた考えに囚われることで、自分を縛ることになります。
怒りや苦しみ、楽しいことや満足感というのは、自分で創り上げた考えに囚われているだけだと気づいたとき、それを手放し自由になることでしょう。そこにはただ一人自分が、創り上げているものであり同時に創り上げられているものという自分が存在していると知るでしょう。
全ては「自分・存在」が創り上げ、外に映し出された自分を経験していると知るでしょう。
結果としての苦しみや不幸という状態は、自分の考えが自分の経験を創り上げていることを知らないこと、あるいは、自分が創り上げている世界を否定していることなのです。
自分が創り上げた考え・解釈にとらわれることをやめると、「意識」は創られた考えから自由になります。
全ては「自分=存在」が創造しているのです。
それを知るとき、自分が自分で無くなり、世界が自分、自分が全てであるということを同時に知るでしょう。

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