タオルはシャワーで洗う

私は郊外の温泉施設でサウナに入るのが好きなのですが、そこに何度か通っている時にあることに気がつきました。それは私がタオルの洗い方で自然に節水に貢献しているということです。

以前、モノを最小限にするというシンプルライフを実行している例として、タオルを年に三枚しか使わないことについて書きましたが、もう一つ自然に実践していたのが、タオルの洗い方です。
最近はどこの温泉施設でも「節水にご協力ください」などの注意書きがあったり、シャワーやカランが10秒ほどで自動的に止まったりと,工夫しているようです。

実は私はカラン(蛇口)を使いません。したがってタライを使いません。

*ここで雑学です。カランとは「鶴」を意味する「kraan」というオランダ語が語源なようです。首の長い蛇口は鶴をイメージさせますね。

なぜカランやタライを使わなくなったのかというと、時間がかかり、その割にはタオルがキレイにならないからです。

まず私はタライにお湯をためている時間を待っていることができません。最近の給湯器はだいぶ性能が良くなりましたが、お湯は水を沸かしてから出てくるので、その分水圧も水量も少なくなります。それを待っている時間が長く感じられます。

そして、タライでタオルを洗うと何度もお湯を交換しないとタオルはキレイにならないということ。石鹸だらけのタオルを最初にタライのお湯の中で洗うと、タオルの石鹸がお湯に溶け込むのですが、その石鹸が溶け込んだお湯の中で洗っていてもキレイになりません。キレイになるまでに何度もお湯を交換しなければなりません。しかし、汚れが溶け込んだお湯で洗うので完全にはキレイになりません。

そこで私がやっているのは、シャワーのお湯にタオルを広げて直接さらすという方法です。この方法だとタオルにキレイなお湯を注ぎ続け、汚れたお湯は流れ落ちるので、完全にタオルの石鹸を落とすことができます。そして時間ほとんどがかかりません。

実際、まず泡だらけのタオルをひろげてシャワーにかざし石鹸を落とします。軽く一回絞りもう一度シャワーにさらしタオルの繊維の中に入っている石鹸を落とします。もう一度絞りシャワーにさらしてキレイにします。最後にタオルを絞れば石鹸汚れは全て落ちます。

しかも、この方法だとタライ一杯分のお湯しか使いません。タライにお湯を入れてタオルを洗う方法だと、(私が温泉施設で観察したところ)その3~5倍のお湯を使うことになります。

この方法は、皆さんあまりやっていないようです。何年か温泉施設で観察しているのですが、私一人です。

節水にもなるし、タオルもよりキレイになる。

ぜひ皆さんやってみてください。

過不足なく

シンプルライフの実践は、今の世の中では所有物を減らしていくことで、モノとの関係が調和のとれたものになっていき、それと同時に、人間関係や仕事なども調和のとれたものになります。
調和というのは、言ってみれば、バランスが取れている、過不足がないことではないでしょうか。
モノについては多くもなく少なくもなくピッタリの量があることです。
私は合気道をやっているのですが、合気道の技というは、まず相手と気を結びそれから導くという技の掛け方をします。相手あっての技なので、速すぎても遅すぎてもうまく掛からないのです。ちょうど良いタイミングと力加減があるのです。一体感、調和というものが一番大切なものと言ってもいいでしょう。
モノや行動、人間関係なども、過不足ない調和のとれたものが良いのです。頑張ってもいけません。怠けてもいけません。ちょうど良いところがあるのです。スポーツや稽古ごとなども、ちょうど良い練習量と集中力を使う時が一番伸びるようです。
シンプルライフというのは、減らすことに重点が置いてあるように思えますが、それは物事を過剰に追い求める現代だからそういうことになるのです。シンプルライフは、過剰なものの場合は減らし、不足しているものの場合は増やし、バランスをとるということです。中庸です。中道です。
何か問題がある、物事を変えたい、自分を変えたい、人間関係を変えたい、私たちは様々なことを動かそうと悩んでいるでしょう。しかし、中道が大切です。バランスが大切です。調和を目指して生きていく時、それは一番うまく動いています。それはとても遅い変化に見えるかもしれませんし、あるいは一瞬で変わるかもしれません。どちらも調和の結果その速さで変化しているのです。それに気がつかずに調和からはずれ、無理に押したり引いたりすると、問題はもっと複雑になります。
どんな物事も変化しています。それに対して私たちはいつでも関わっています。複雑に関わると物事は複雑になります。シンプルに関わると物事はシンプルになります。
私たち自身がシンプルになればなるほど、周囲の状況がシンプルに美しく在るでしょう。

床の間

以前紹介した『新・片づけ術「断捨離」』の中には、収納を「見えない収納」、「見える収納」、「見せる収納」の3つに分けて、それぞれの空間に対してのモノの占有率を7割、3割、1割りとしています。これは家の中をスッキリさせるには、とても良い基準になると思います。

詳しく知りたい方はこの本を読んでください。

ここではシンプルライフでの「見せる」方法を紹介します。

壁や机の上に様々なモノを飾って楽しんでいる人は多いでしょう。壁には好きな絵画やアイドルのポスター、机や窓際には植物や縫いぐるみや細かな置物、その他様々なモノを飾って楽しんでいることでしょう。

しかし、シンプルライフでお勧めするのは、モノを見せるのは「垂直面に一点」、「水平面に一点」だけです。

日本の家屋にはよく床の間があります。床の間の壁には掛け軸、床には花などを飾ります。壁という垂直面に一点、床という水平面に一点だけを飾っています。これは本当に美しいものです。この方法をシンプルライフは採用しています。

床の間がある家ではそれを使用すれば良いのですが、床の間がない場合も多いでしょう。私の家にもありません。その場合、自分で家の中に一カ所だけ床の間と同じような空間をつくります。何度も繰り返しますが、家の中に一カ所だけです。しばしば、玄関、リビング、和室、寝室など全ての空間に飾りを置いているのを見かけますが、これはお勧めしません。ただ一カ所です。シンプルですが本当に美しいです。

理想は家の中に一つですが、家族の一人一人の趣味があり自分の部屋に見せる空間を自由に作りたいという人はそれでもよいでしょう。基本は、その部屋の一つの垂直面(壁)と一つの水平面(テーブルなど)を決め、そこに一点ずつ飾るようにします。他には何も置きません。

水平面には、花瓶に挿した季節の花や植物を置くのも良いでしょう。あるいは気に入っている置物などでも良いでしょう。

垂直面には、絵画や書、または気に入った柄や色の布一枚を飾るのも良いでしょう。寒い季節には温かい色のモノを置くなど工夫してみてください。

これを行う当初は寂しく感じるかもしれませんが、シンプルライフに慣れてくると、この美しさを感じられるようになります。

ぜひ「床の間」の方法を行ってみてください。

心の部屋の片付け

シンプリストはモノに対して執着せず手放しますが、モノではなく心ではどんなモノを手放すのでしょうか。

心の在り方でそこに残しているのは、感謝です。それは知足であり、共感であり、交友であり、尊重であり、和合であり、正直であり、誠実であり、そして喜びであるのです。

そこに至るには、やはり不要な心を手放すしかないのです。

その不要な心は、不平、不満、物惜しみ、恨み、憎悪、快楽、慢心、飽くことなき欲求、退屈、疑念、不安、コントロール、嘘、いつわり、怒り、散漫、などです。

これらは、私たちの生活の中で、余計な情報が押し寄せてくるように、いくらでも私たちの心の中に侵入してきます。

モノを手放すうちにこれらの余計な心の状態も手放すようになってくるのですが、心の面でも何が余計で何が必要なのかを、あらかじめ知っておいた方がよいのです。

状況がなんであろうと、不要な心の状態は必要ありません。これは心という空間を乱すだけなのです。心を一つの空間と見なしてください。実際、本当にそうなのです。心というのは一つの空間、部屋であって、そこに何を入れるのかは私たちが自分で行っていることなのです。状況がこうだから私はこう思う、というのは、私たち自身がそう思う状態を選んでいるだけなのです。

誰かがこんな嫌なことを言った。それをモノだと考えてみてください。貰わないでいましょう。もう貰ってしまった? それなら捨ててください。心の空間をキレイに保ってください。心はあなたの魂の部屋だと考えてください。

心の部屋には、本当に大切なものだけを置きましょう。

私の心の部屋に残しておきたいのは、感謝です、清明正直です。

皆さんの心の部屋には何を置きますか?

モノ以外も手放せます

モノを手放すことは、どれほど大きな意味を持っているのでしょうか。

私のように本に執着していたのは、そこに固定された行動、パターン化された心の状態が守れる、といった一種の安心感があったからだと思います。周囲の状況がどんなに変化しようが、自分のパターンの中からはずれなければ心が乱されることもないし、心が乱されそうになったらいつでも本を読んでそこに没頭することで安心感を得られるのです。

しかし、もちろんそこには本当の安心感などありません。世界に関わらずに、つまり自分の世界、経験を広げずに、自分を偽って生きているのです。モノを手放せない人はそこに偽の安心感を見出そうとしているのです。

なぜモノを所有することで安心感を得ようとするのでしょうか。 モノというのは人がこの世で一番コントロールできる(と思い込んでいた、あるいは社会がそう思わせていた)からではないでしょうか。いつの間にか、あなたはこれこれを持っていると安心ですよ幸せですよ、と思い込まされていたのです。そしてその誰かが言った幸せを得るためにモノを持つことに夢中になってしまったのです。

モノの所有というのは、コントロールできないものをコントロールしようとすることであり、コントロールできない現実からの逃避であり、思考の固定化であり、そして、自分の成長や変化を妨げるものなのです。

そういったモノを手放すことによって、あるいは預かりモノとして大切にすることによって、その他のことも手放し始めます。後悔や期待、先入観や偏見、ルールやコントロール、主義主張などを手放し始めます。毎日毎日が、一瞬一瞬が、生き生きと感じられ、一体感と調和の中で生き始めます。

モノを手放してみてください。手放しながら自分の心の変化を感じて、自分の固定した心があれば見つめてみましょう。うまく行くときも行かないときもあるでしょう。
しかし、続ければ続けるだけ自由と生き生きとした感覚を得られるでしょう。

 

パソコン画面もミニマルに

ミニマルライフでは、全ての表面にはできるだけ何も置かないのが基本です(机やテーブルの上、タンスの上、床の上、調理台の上、など)。これはパソコンのデスクトップ画面でも同じです。

デスクトップ画面とは、パソコンの机の上、作業台のことです。シンプルライフでは、デスクトップ画面も実際の机の上や作業台と同じように扱います。作業中以外はできるだけ何も置きません。

以下は私のパソコンのデスクトップ画面です。

私の場合、画面の下の方にドックがあります。キレイにするためにドックはなるべく小さくしてあります。

デスクトップ画面には何も置かないのが基本ですが、外付けSSDが取り付けてあるので右上に一つアイコンがあります。

この文章はScrivenerというソフトで書いています。Ulysses2というソフトと比べていましたが、どうもScrivenerの方が使い勝手が良いようです。見た目はUlysses2の方が“シンプル”で良いです。短い文章やメモなどを取る時は、OMMWRITERWriteRoomなどを試用中です。そのようなソフトのショートカットをドックに入れています。

保存してあるファイルは、部屋の中と同様に、いらないものは全て処分してしまっているので、探す必要もなく、また保存してあるものを探すにはランチャーという便利なソフトがあるので、それを使ってすぐに探し出せます。私はAlfredというランチャーを使っています。一つの窓を開け、そこに呼び出したいファイルや言葉を入れると、パソコン上とネット上の何でも検索して呼び出すことができます。ショートカットアイコンでデスクトップ画面が散らかることもなく、ファインダーをクリックし続けることもなく、ストレスフリーな道具です(シンプリストのソフトについてはいつか書きたいと思います)。

パソコンでも、「ガラクタや不要なものは手放す、捨てる」のが基本です。使っていない不要なファイルは処分しましょう。自分がお気に入りで使うのにワクワクし、大切に思うものを取って置き、使いましょう。

シンプリストとは

ミニマリスト 、シンプリスト、エッセンシャリスト、などなど、ミニマリスト という名称の代わりに様々な名称が使われていますが、私はシンプリストという名称が一番好きです。そこでシンプリストとは何かということを書いていきます。
シンプリストとは何でしょうか。

日本語のシンプルを調べると
*シンプル【simple】《形動》単純な様。また、飾り気やむだなところがなく、簡素なさま。「-な柄」「-な生活」(大辞泉)
とあり、また、英語のシンプリストsimplistとシンプリズムsimplismを調べると
*simplist【名】単純化志向の人、短絡的な人
*simplism 【名】過度の単純化、単純さの擁護、短絡的思考(英辞郎)
とあります。

シンプリストというのは単純な人です。ある意味でアホなのです。問題を複雑なものとして見ません。なぜなら、複雑なものの見方が問題を作り出していることを知っているからです。

シンプリストは、複雑なことはしません。代わりに単純に考え行動します。
シンプリストは、モノを集めません。代わりにモノを大切に使います。
シンプリストは、知識や情報を集めません。代わりに行動します。
シンプリストは、「しゃべり」ません。代わりに[話し」ます。
シンプリストは、自分のものはありません。代わりに預かりものがあるだけです。
シンプリストは、要求しません。代わりに感謝します。
シンプリストは、過去や未来に煩わされません。代わりに今ここに在ります。

これらが、シンプリストという言葉の私なりの解釈です。

ミニマルライフの基本

ミニマルライフを実践するには、どうすれば良いのでしょうか。

このブログでも紹介した『新・片づけ術「断捨離」』や『人生がときめく片づけの魔法』を読めば、誰でもスタートを切れるのではないでしょうか。その他英語で読みたい人はLeo Babautaの『Zen to Done』『The Power of Less』『Focus』などが良いでしょう。

ミニマルライフの基本は、

1、ガラクタや不要なモノは手放すこと。不要なモノは買わない、持たない、貰わない。

2、ガラクタやモノを減らしていく過程で、自分にとって何が大切なのかを明らかにする。

3、大切でワクワクするモノだけを持つ。

4、持っているモノを感謝の心で使う。

5、整理、整頓、清掃、清潔。

6、そして、これらを毎日改善する。

ミニマルライフの基本はモノに特化していますが、これを行っていくとモノだけでなく、仕事や人間関係、生活全体に浸透していきます。全てが影響を与え合っているので、その中の一つを変えることで全てのことが変わってくるのです。

これら1~6の作業は慌てずに行うことです。上で紹介した著者たちはおそらく上級レベルに達するまで10年ほどかかっています。自分だけで一朝一夕にはできることではありません。ただそういった経験者が近道を教えてくれているので、今まで片付けに関心があり実践してきた人はすぐにでもできるかもしれません。私のようにガラクタだらけだった人はもう少しかかるかもしれません。あるいは、ガラクタの何が問題なのか分からない人もいるかもしれません。

ただ始めてみてください。自分のレベルなりにやってみてください。やってみれば必ず気持ちがよいと感じるはずです。