ベンジャミン・フランクリンに習う

私の好きな人に、ベンジャミン・フランクリンという人がいます。
アメリカ合衆国の父の一人として尊敬されている人で、政治家、外交官、物理学者などでもあります。
彼の自伝である『フランクリン自伝』のなかに「13の徳」というものが出てきます。彼はこの13項目の一つを毎週一つ選び、それを実行し反省し修正しながら、自分を向上させる手段として使っていました。今回はそれを紹介していきます。
そして、これを現代版として解説していきたいと思います。

まずは、ベンジャミン・フランクリンの13の徳

1. 節制:腹いっぱいになるまで食べないこと。酔っぱらうほど飲まないこと。
2. 沈黙
:自分にも他人にも役に立たないことは話さないこと。くだらないおしゃべりはしないこと。
3. 規律
:ものは全て場所を定めること。仕事は全て時間を定めること。
4. 決断
:やるべきことをやると決心すること。決心したら最後までやること。
5. 節約
:自分にも他人にも役に立たないことにお金を使わないこと。浪費しないこと。
6. 勤勉:時間を無駄にしないこと。常に有益なことに時間を使うこと。必要ないことはやらないこと。
7. 誠実
:嘘偽りを用いないこと。心を無邪気に正直に保つこと。口にすることも無邪気に正直に。
8. 正義
:他人の利益を傷つけないこと。与えるべきものは与えること。
9. 中庸
:極端を避けること。どんな損害を受け憤りに値すると思っても、決して怒らないこと。
10. 清潔
:身体、衣服、住居を清潔にすること。
11. 平静
:小さなこと、日常茶飯事、避けられないことに心を乱されないこと。平静でいること。
12. 純潔
:性欲は健康や子孫のために使うこと。これにふけって、頭脳を鈍らせ、身体を弱め、自他の平安や信用を傷つけることのないようにすること。
13. 謙虚
:イエスおよびソクラテスを見習うこと。

解説

1.節制:腹いっぱい食べないこと。
これは皆さんお馴染みの腹八分目や腹七部目などで知っているでしょう。お酒もそうですね。気分が悪くなるまで摂取するのはよくないです。食事もアルコールも少し足りないくらいが一番良いです。

2.沈黙:自分にも他人にも役に立たないことは話さないこと。くだらないおしゃべりはしないこと。
意味ないおしゃべりは百害あって一利なしです。話すぎると嫌がられますし。うわさ話、悪口、批評、ネガティブな内容では自分の心を蝕んでいきます。おしゃべりな人はだいたい否定的なことをしゃべる傾向にあります。ずっとおしゃべりで人を褒めたり肯定的なことを言う人はあまり見たことがありません。
自分のことを話すよりも、人の話を聞いてあげることの方がいい評価を受けるし、聞き上手の方が相手の信頼を得られます。
話の内容は選んで、自分にも他人にも利益になるようにしましょう。

3. 規律:ものは全て場所を定めること。仕事は全て時間を定めること。
整理整頓ですね。モノも時間も同じです。
モノをしまう場所を決めていないと部屋がぐちゃぐちゃになり、探し物の時間が多くなります。また余計なものを所有することになり、部屋の乱れは心の乱れと言われるように、潜在意識を混乱させることになります。
やるべき仕事を決めてやるのも大切です。決めないとずるずると時間を過ごすことになり、やるべきこともいつまでたっても終わらないという事態になります。やるべき仕事をしていないと自己嫌悪に陥りやすく、自己評価が下がるのでよくありません。もちろん、休む時間も必要なのでこれも決めておきましょう。
モノは指定場所に置く。やるべきことはやる時間を決めてきちんとやる。これが大切です。

4. 決断:やるべきことをやると決心すること。決心したら最後までやること。
目標設定ですね。目標を決めないとどこに行くのか分からずに、この辺をうろうろしているだけです。決めないより決めた方が断然いいです。決めないと何も起こりません。決めると、とにかく今よりは向上します。
そして決めたら、なんでもいいので行動します。どんな小さな行動でもいいので、やることが大切です。

5. 節約:自分にも他人にも役に立たないことにお金を使わないこと。浪費しないこと。
お金の使い方は、浪費、消費、投資、この三つがあると考えると良いです。
浪費は、付き合いの飲み会や贈り物、見栄のための装飾品、ストレス発散のための買い物などですね。
消費は、食品や生活費ですね。
投資は、自分の勉強のための本やセミナー、向上できる機会へのお金ですね。
浪費をなくし、消費を減らし、投資を増やす、これが一番ですね。

6. 勤勉:時間を無駄にしないこと。常に有益なことに時間を使うこと。必要ないことはやらないこと。
上の5と一緒です。時間の使い方、これも同じですね。
例えば、面白いテレビ番組を見ているよりは、自分を向上させる本を読んだりする方がいいですし、どうでも良い人とどうでも良い話をしているよりは体を鍛えるなどしたほうがいいです。
これを続けていくと、時間の使い方で雲泥の差が出るのは誰にも分かりますね。

7. 誠実:嘘偽りを用いないこと。心を無邪気に正直に保つこと。口にすることも無邪気に正直に。
嘘、小さな嘘でも、自分の中で葛藤が起こります。自分の嘘に苦しむことになります。
心に思っていること、言葉にすること、行動で表すこと、これら全て無邪気に正直でいることが大切です。
常に自分を見つめ、自分の心の嘘に気づき、それをなくし、純粋に保つことです。

8. 正義:他人の利益を傷つけないこと。与えるべきものは与えること。
正義というと、相手を正してやろうという人が多いですが、これは違います。
本当の正義は、自分の考えも相手の考えも、どちらも良い悪いも無いということを知ることです。ただ一つの考えであるということです。一つの存在がただそう生きているということです。一つの存在を判断することなしに認め肯定することなのです。
あなたも他人も、それぞれが生命の現れなだけなのです。
自身も他人も肯定し生き切ることです。

9. 中庸:極端を避けること。どんな損害を受け憤りに値すると思っても、決して怒らないこと。
あらゆる現象には意味はありません。それに意味をつけているのはあなたであり、その他の人それぞれです。
起こっていることはただ起こっています。それに意味をつけるのも良いですが、あまりに極端な意味をつけて怒りまくったり、他人を批判すると、ますます自分の心が不幸になります。
どんなことも感情で反応しないでいることが大切です。

10. 清潔:身体、衣服、住居を清潔にすること。
やはりきれいが良いです。
身体、衣服、住居、そして心をきれいにしていましょう。
きれいにしていて文句を言う人はいないでしょう。

11. 平静:小さなこと、日常茶飯事、避けられないことに心を乱されないこと。平静でいること。
これは9と同じですね。どんな嫌な出来事、義務、自然災害、天変地異、それらに対して反応しないことです。
起こることは、ただただ起こっています。あなたが操作できることではありません。それに対して反応しても意味がありません。ただただ受け取り平静でいることです。

12. 純潔:性欲は健康や子孫のために使うこと。これにふけって、頭脳を鈍らせ、身体を弱め、自他の平安や信用を傷つけることのないようにすること。
性欲というのは、一つの生体エネルギーの形です。これは食欲にもなるし、購買欲、動物愛、、破壊欲などにも変わります。
ある意味、性欲が強い人は生命エネルギーが強い人です。このエネルギーをうまく使うことが大切だと思います。創造的なことや自分を向上させるエネルギーとして使うことが良いです。
どんなエネルギーでもその性質と目的を熟慮して使うことができるのが良いですね。

13. 謙虚:イエスおよびソクラテスを見習うこと。
謙虚という言葉はあまりあっていません。イエスもソクラテスも全ての人の意見や考えを否定しまくっていました。当時の権威に対しては全く謙虚ではありませんでした。自分の考えさえ否定していたので謙虚に見えたのでしょう。
イエス・キリスト、ソクラテス、ブッダ、ラマナ・マハルシ、その他の聖者と言われている人たちが究極に伝えようとしたことは、実は謙虚ということではありません。
彼らが伝えようとしたのは、自分などないということです。自我をなくすということです。自分という考え、自分を取り囲む世界が幻想であるということなのです。全ての考え、身体感覚が幻想であるということなのです。
自我がなくなり、自分という存在や自分の周りで起こっていること、さらに考えそのものに囚われなくなると、元々あったものが見えてくる、そして本来の世界の姿が出てくる、ということなのです。

さて、長くなりましたが、この『ベンジャミン・フランクリンの13の徳』は、現代においてもとても役に立ちます。
この中から毎週一つ選んで常に意識し生活することで自分を向上させる、という方法はとても有効ですし、習慣化するにはこの方法しかないと言っても過言ではありません。
ぜひやってみてください。

『フランクリン自伝』

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先日、人に話しかけられました。
「あの〜、少しお話伺っていいですか〜?」
「はい、なんでしょうか?」
「どうしたら、そんな柔軟性をつけられるんですか?」
、、、、

それからの会話は、その人は自分で何もやってないのに「人の話ではこうなんですが、本当のところどうなんですか?」「そのストレッチとかに関するいい本があれば教えてください」「本の出版社はどこですか?」「専門家はこう言ってますよ」「それは初心者には無理な気がしますが」、、、

私は、「その感じの本なら書店にたくさん並んでますよ。書店で本を探してみてください」と早々と会話を終わりにしました。

このような人は、現実世界でも、メールやSNS上でもたくさんいるようです。

さて、
「何々をできるようになるにはどうすればいいですか?」とか「何々を教えてくれませんか?」と簡単に他人に聞く人は絶対うまく行きません!!!

これは、本当に普通の人がしていることなので、「聞いちゃいけないの?」と思うかもしれません。何かしたいことがある時、何か目標がある時、こうなりたいああなりたい、という時、自分よりも知ってる人に聞くのは当たり前と思うかもしれません。
しかし、本当にしたいことがあるなら、これをすると逆効果です。
こういう人は、うまくいきません。

理由1
質問に答える相手の時間を奪っているのを分かっていない。それさえ分かっていない人に深い話をしてくれる人はほとんどいません。質問に答えてもらえるかどうかよりも嫌われる可能性が高いです。

理由2
他人に自分のことを聞く癖があるので、その人は自分の人生に責任を持っていません。聞いたところでその情報を使えない(使わない)ので上手くいきません。どれだけいい情報が入っても「それは自分には合わない」「今は時期じゃない」などと言い訳する傾向にあります。

解決策
自分から調べよう、真似しよう、行動しよう、といつも努力していることです。「努力」というのは無理をするということではなく、自分でできる努力です。毎日のどこかの時間、5分でも毎日すること、もちろんできる人は24時間考えて工夫をすることです。
何かができるようになる、何かになる、というのは、そのしていることが習慣になっているということです。そういう習慣の人には同じような習慣を持っている人が近づいてきます。情報も自然に入ってきます。

何かができている、というのは、それが考えなくてもできるということです。考えなくてもできるようになるには、それができるようになるまで考え続けやり続けることなのです。
考えて考えて、やってやって、やり続けることなのです。
現状がどんなでもそれに惑わされないこと、動揺しないで続けることです。

なりたい自分になるというのは、それは毎日、普段、通常、24時間、何をしているかだけの問題なのです。
考えては行動し、行動しては修正し、修正しながら考えて、そういうあり方をするだけなのです。

もう一度言います。

他人に簡単に聞く人は絶対にうまく行きません!!!

どんな自分になりたいかは、「毎日、どんな瞬間でも、そういう生き方をしているか?」ということなのです。

何かで成功したかったら、そういう人間でいつもいられるかどうかです。

何かになりたかったら、24時間そのことだけをやってるかどうか、なのです。

すごい人の話を一回聞いても意味はないです。
すごい講座とかを受けても意味はないです。
毎日、毎日、1ヶ月、一年、3年、10年、いつもその生き方をできるかどうかなのです。

こう言っても、これを始めても普通の人は、本当に持っても3年くらいでやめます。

はっきり言って、3年できればかなり人間が変わってきます。
3ヶ月でも少しの結果は見えてきます。これがモチベーションになることもあります。しかし、モチベーションだけでは続けられません。それくらい人間の修正は変えられないのです。
3年続けましょう。

変化が見えてもほとんどの人があきらめます。

変化が見えても、「お、自分、変化してる」という思いに囚われないで、続けることです。
そういう人だけが10年、20年続けることができて、人生の習慣にまでなります。

長く書きましたが、ここで言いたいのは、
今の自分は習慣の結果でしかない、ということです。

自分が普段考えていて習慣になっていることが、自分を作り上げている、ということです。

いつも考えていること、それがあなたの在り方、なのです。

時々、何かを変えてもあなたは変わりません。
変わるのなら、常にそう在る、ことなのです。
ただただそう在る、ことなのです。

常にそう在れ!!!

タオル

お気に入りのアイテム紹介です。

私がシンプルライフを目指して、モノを最小限にしようとする一方、以前から当たり前のように最小限にしているものがありました。

それは家で使うタオルです。

私が普段使っているタオルはフェイスタオル3枚だけです。
風呂用      1枚。
顔や手拭き用   1枚。
銭湯(サウナ)用 1枚。

風呂に入る時用には、体を洗うときも体を拭くときも1枚だけを使います。髪を拭くのも同じもので済ませます。拭く時には髪の毛、それから上半身を、最後に足を拭きます。タオルを使ったら固く絞り風呂場の横のタオル掛けに干しておきます。干しておけば次の日に風呂に入る時には乾いています。ですので、洗濯する必要がありません。

最後に足の指先までを拭いたタオルをそのまま洗わずに使うのは不潔だと思うかもしれません。私も一時はそのように思い、必ずもう一度洗ってから干すようにしていましたが、そこまで気を使う必要がないことに気がつきました。なぜなら、そのタオルを使っているのは私だけだということ、翌日に使う時に必ずお湯につけ石けんで泡立てるので、そこで殺菌されるだろうということ。
このようにフェイスタオルを風呂に使っていると、薄手のものだと半年くらい、丈夫なものだともう少し持ちます。

実は、以前はフェイスタオル1枚だけを風呂用と顔や手拭き用の両方に使っていました。風呂につかったタオルを次の日には乾いているので顔や手を拭くのに使っていました。この使い方だとお風呂用は年間に2枚だけしか使いません。しかし、その分タオルもゴワゴワに固くなり顔を拭くと顔が痛くなるので、これではダメだと顔や手拭き用のタオルを別に1枚用意することにしたのです。

銭湯用のタオルは、私はサウナに入ってタオルをお尻の下に敷いているので、タオルが熱と木の摩擦で痛み汚れます。これも年間2枚くらいになります。

ここ数年は、
風呂用    1枚(年間2枚)
顔や手拭き用 1枚(年間1枚)
銭湯用    1枚(年間2枚)
         (年間計5枚)
で定着しています。

今治タオル

今は今治タオルがお気に入りです。

と、言いたいところなのですが、

最近になってお気に入りが変わりました。

それは、セブンイレブンのタオルです。これは銭湯に行くときにタオルを持っていくのを忘れ、仕方なく途中のセブンイレブンで買ったものでした。

7イレブン
3枚組フェイスタオル

使ってみて驚いたのは、このタオルは薄くて軽いので、絞りやすく乾燥しやすいのです。
品質の良いタオルはほとんどの場合厚みがありフワフワしているので、水を多く含み絞りにくく、また、石鹸やボディソープを泡立たせるには多く量が必要で時間もかかります。また洗うのにも時間がかかります。
値段は3枚で300円くらいです。3枚中2枚が白、1枚が青です。サウナで使うタオルは板の色が移って汚れが目立つので青を使っています。青があってちょうど良かったです。

セブンイレブンの1枚400円くらいのタオルも人気のようです。→極ふわ贅沢仕上げフェイスタオル

こっちはかなり良いですが、私が今使っているのは3枚300円くらいのやつです。もしかしたら扱っている店舗が限られているかも知れません。
ちなみに同じ安さでも、100円ショップのものはゴワゴワしてダメです。

まとめ
タオルは薄くて柔らかいもの!理由は:
* 泡立てやすい
* 洗いやすい
* 絞りやすい
* 乾燥しやすい

タオルは粗品で頂くことが多いので、それを使う人も多いと思います。ただ私は、貰い物は全てバスタオルでもフェイスタオルでも、全て人に譲っています。気に入らないものは使いません。自分で気に入ったものを買い、それを使っています。

物の選ぶときは、自分の生活にぴったりする機能があるかどうかで選びましょう。余計な機能がついているものは、いずれ自分の生活全体を複雑にすることになるので、すぐにそれらを手放すか、シンプルなものに変えましょう。

今治タオル


シンプル イズ ベスト。

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もう一度(ある在り方の物語)

PIG

ボクは、自分が生まれる前のことは全然覚えていなかった。
カミさまが教えてくれるまでは。

ボクが生まれたのは田舎の農家だった。6人兄弟だったので、生まれて数ヶ月で別の人のところに引き取られた。
引き取ってくれたオジチャンとオバチャンは、とても親切で、しっかりとボクを育ててくれた。
オバチャンはブラシをよくかけてくれた。最初は何されているかわからなかったんだけど、だんだん気持ちよくなってきて、ブラシを見ると眠たくなるようになってしまったくらい。
オジチャンは毎日体を洗ってくれた。ボクがきれい好きなことを知っていたのはオジチャンだけだったからね。
カミさま、あなたも知っていましたね。

時々、もうこれでもか、っていうくらいご飯を食べさせてもらった。まわりのみんなが過保護だって言うくらいにね。
オジチャンとオバチャンは、ボクがポッチャリしているのがいいって、いつもそう言っていたから、ボクはたくさん食べて寝て、時々走りまわって、それからまた食べて寝てってやっていたな。
二人が喜ぶ顔を見るのは、ボクの喜びでもあったな。
カミさま、あなたも喜んでたって言っていましたね。

オジチャンとオバチャンに引き取られて数年たったころ、ボクのうちに初めて見る人が来たんだ。オジチャンと話しているのを聞くと、引き取るとか引き取らないとか、いつ出るとか出ないとか、どうもボクの話をしているようだった。
その夜、オバチャンがボクの寝床に来て泣いていた。ボクは寝た振りをしていたけれど。オジチャンは、その日から無口になった。それまでたくさん話を聞かせてくれていたのに。
カミさまの話を聞いて、やっとその理由がわかったよ。

その日は突然やってきた。そろいの制服を着た三人の男の人が入ってきたんだ。ボクを車に乗せようとして、いやがったらボクの耳を引っ張って、お尻を押して。ボクは感情が麻痺しちゃったな。カミさまなんていない、って思ったよ。
カミさま、あなたも、「カミさまなんていないよ」って言っていましたね。

他の仲間と一緒に並んで、機械がある部屋で、意識がなくなったと思ったら、意識が体から離れてしまって、ボクはボクでなくなっちゃったな。
ボクの体は血を抜かれて、バラバラにされて、もとの形がなくなってしまった。
袋に入れられた体を見たときは、ボクは自分が生きていた意味なんてないって思ったんだ。
カミさまも、意味なんてないよって言っていましたね。

仕方ないから、ずっと自分の体の行方を追っていたけど、どこかのお店で、袋から出したボクの体を料理して、お皿にのせて出していたんだ。
そしたら、家族がそこにいてね、ボクのオジチャンとオバチャンに似た人たちだったかな。
その中の女の子がボクのことを食べながら言ったんだ、

「おいしいね、おいしいね」

って。

それを聞いたとき、ボクはパアッと広がったんだ、宇宙に溶け込んだみたいにね。
それで、一瞬にして思い出したんだ、自分が生まれる前のことも、生まれた理由も、すべての経験の理由も。

カミさまは、それはボクが「消化された」って言っていた。
違ったかな、「昇華」だったかな。
カミさまの言うことは難しいから、時々分からなくなっちゃう。

それでカミさまは「今回、この生き方を選んだね。すべて自分で選んでいたんだよ。どんな在り方でも選べるよ。次はどんな在り方を選ぶのか」って。

ボクは言ったんだ、

「カミさま、もう一度 豚がいい!」

 

その瞬間、ボクは光になった。

光

清く正しく美しく

清く、正しく、美しく。

私が小学生の時、確か低学年のときだったと思います、教室の中にこの標語が書いてある半紙が貼ってありました。生徒たちがよく(冗談で)この言葉を口にしていたのを覚えています。しかしその後、全くと言っていいほどこの言葉は聞かなくなりました。

私自身は、これはとても良い言葉だと思います。自分の考えや行動が、「清いのか」、「正しいのか」、「美しいのか」をいつも自問自答し、それに沿うように生きていくのは世界にとっても良いことだと思います。

現代社会では主に、「どれだけ多く」、「どれだけ速く」、「どれだけ楽に」、「どれだけ便利に」等の基準で物事が評価されてきました。「どれだけ清く」、「どれだけ正しく」、「どれだけ美しく」という基準で物事を評価することはほとんどありません。ほぼ結果重視です。プロセスを無視した考え方が優勢です。

しかし、生きるということは「今ここでどんな在り方をしているのか」の連続です。プロセスを無視した結果というのは結局、その無視した行為が身に付くだけなのです。

既に多くの人が気付き始めています。どれだけできるか、どれだけ頭がいいか、どれだけ財産を持っているか、というように、どれだけ多く持っているかというのは全く意味がないことに気付き始めています。

これからの時代に問題になるのは、どれだけ自分が清らかな気持ちでいられるのか、どれだけ正しい思いでいられるのか、どれだけ美しく考えられるのか、なのではないでしょうか。

清く、正しく、美しく。

私の大好きな言葉です。

ありがとうございます。

すでに幸せ

幸せになるにはどうすればいいのか。

あらゆる時代に、あらゆる場所で、あらゆる人がこのことを探求してきました。
単純なものから非常に複雑な理論まで、あらゆる宗教や最新の科学まで、現在でも「幸せ」になるために生み出したあらゆる方法を目にします。

実は、幸せになることは不可能なのです。これまでの幸せになるための方法全てが間違っているのです。

なぜ?

それは「幸せ」とは「生きていること」だからなのです。今ここに在ることだからなのです。
もうすでに私たちは幸せなのです。

生きているだけで幸せ。
いいえ。生きていることが幸せなのです。

私たちは(この文章を読むことのできる生きた皆さんは)、十分幸せな魂だから、この地球上に肉体を持って生まれることができたのです。
私たちは、すでに幸せなのです。

問題は、そのあとなのです。
幸せならどうするか。。。

答えは自ずと出てきます。幸せな人間はどんな在り方をするか.幸せな人間はどんな行動をするか。
幸せであればどんなことをしても大丈夫です。

なぜって?
幸せだからです。
幸せな人間からは、幸せが生み出されるのです。
幸せから生まれるものは、幸せなものだけだからです。

私たちは、今ここに生きていることが、ほんとうに幸せなのです。
私たちがそれに気付くことで、世界が幸せなものに変わっていくでしょう。

ありがとうございます。

マザー・テレサの祈り

マザー・テレサは毎朝仕事を始める前にお祈りをしていたそうです。
おそらく次のようなものだったと感じます。

「神様、この体と心と魂を人々のためにお使いください。」

マザー・テレサは祈るとき、自分が何かをしたいとか、神に何かをして欲しいとか祈ったのではなく、自身が神と一体となって人のために働いていると感じ、それに感謝していたのではないでしょうか。自分は今ここで感謝の中にあるという宣言をしていたのではないでしょうか。
マザー・テレサは「今ここ感謝」を真に理解していた人であったと思います。

以前、私がお世話になったヨガの先生のグループがインドに行き、マザー・テレサが行っている仕事を手伝う機会がありました。数日間手伝ったらしいのですが、毎日の仕事は想像以上にキツいものらしく、その先生のグループの皆が半日でバテてしまい,毎日最後まで手伝いができたのはそのヨガの先生一人だけだったそうです(この先生は特別にエネルギッシュなひとです)。腰の曲がった老齢の女性が、これだけの仕事を毎日こなすのは、やはり自我が生み出す以上の力があったからだこそ可能だったと感じます。

人間は、心が清明になり行動が正直なものになってくると、そこには「私」とか「自分」とかという主語は無くなり、全てに対して調和した「私たち」という言葉が出てくるのです。その時のエネルギーは自分が持っている以上のものになり、周囲のエネルギーと調和し、人々の喜びや苦しみを自分のことのように感じ取り、世界で起こっていることを我がことのように経験するのです。

生きていることは、自分で生きているのではなく、生かされているということを理解し、生きていることへの『感謝』に至るのです。
これからの時代は、その「今ここ感謝」の時代です。新しい時代の在り方です。
マザー・テレサはその新しい時代の在り方を先取りしていた人でしょう。

「今ここ感謝」、それが普通になる時代です。
「今ここ感謝」は新しい時代の在り方です。

ありがとうございます。

与えたものだけが与えられる

最近の書店を見ていると、売れている本が変化してきた気がします。大震災後の生き方について考えを見直そうと促したり、エネルギーや自然についてだったり、幸せとは何かを考えさせるタイプの本が目立ってきたように思います。

しかし、以前からあるような、「思考は実現する」、「引き寄せの法則」、「ポジティブ思考」、「能力開発」、「成功法則」、「~する技術」、「~ハック」などのビジネス書は,ただタイトルをより個性的なもの変えているだけのようです。

これらの本を読んでみると、大部分に、最低限のことをしてそれよりはるかに大きな結果を得る、一人勝ちする、他人より先んじる、自分だけ得する、というような不自然な考え方を感じます。

10の努力で100の結果を得ましょう、最低の投資で大きな配当を受けましょう、一か月の練習で5年分の技術を身に付けましょう、そのような発想です。

しかし、この世界というのは感謝の中で注いだエネルギーの分しか結果は得られません。アスリートや職人,芸術家や作家などのような人にはよく分かるでしょうが、結果というのは注いだ分しか出てこないのです。1km走るための練習では。10km走ることはできません。10km走るだけの練習が必要なのです。エネルギーを注いだ分だけしか結果は出ません。

それは自然なことなのですが、人は今ここ感謝から離れたり、好きでないことをしていたりすると、その自然なことを忘れてしまい、自分の力を注いだ以上の結果を要求し始めます。しかし、後で気がつくのですが、不自然な要求が通った場合はしっぺ返しが来ます。自分の生命が削られているのです。

感謝の中に在るともっともっと自分の力と愛情を注ぎ込もうと思いますが、しかし、不自然な「もっともっと」は、注ぐ力を増やさずに結果だけを増やそうとします。それはうまくは行かないので、必ずどこかで気が付きます。

時には、あまりに感謝から離れていると、気付きが遅れ、占いやパワーストーン等,自分の努力とは関係ないものに頼ろうとします。それで幸せになることはないでしょう。楽にあるいは幸せになったように見える時でも、それは結局見えないところで自身の感謝を弱め、生命力を削ります。最期の最期に分かります。

唯一、感謝の中で注いだ行為が実を結びます。10の力を注いだら10の結果です。それ以上でもそれ以下でもありません。

結果は求めるものではありません。
結果は出るものです。

では、感謝したらどんな結果が得られるのか、って?

それは、いつでも感謝の状態にいられる、という最高の結果です(^^)
自分が与えたものだけが、結果として出てくるのです。

ありがとうございます。