63.
眼差しは下方に向け、あちこちと移ろうことなく、様々な感覚器官を防いで守り、こころを護り、自我が外に流れ出ることなく、それに焼かれることもなく、ただ一人で歩むがよい、一角の犀のように。
解説
目の前の現象、世界が自分にとってどんな見え方をしているのか、それは結局は自分の在り方を表しているに過ぎません。事象がどういうものかと解釈していること自体が自分がどういう人間かということを表現しているに過ぎないのです。
それは世界を表していることにはなりません、それは自分自身を表明しているだけなのです。
自分を取り巻く状況が悪い、誰々が悪い、世の中が悪い、これらは全て自分の心の在り方を表しています。良いという想いも同様です。自分が創り上げた世界観に自分が左右されることは、世界と自分との二極化をさらに強めることになり、世界観を複雑にします。
世界と自分が別々にあるのではなく、自分と世界は一つであり、自分というものは世界から切り取られた存在ではなく、世界そのものです。
自分という存在などないのです。
自分という思いがなくなり、解釈やレッテル張りがなくなると、本来の存在自体が見えるでしょう(一体になるでしょう)。
自分の世界に対する解釈に喜んだり苦しんだりすることもなくなり、ただただ在るがままの自分=世界だけが残るでしょう。
自分が創り上げた解釈=自分が考える世界、それに反応することなく、ただ今ここに在ること、それが真の自分=世界なのです。