モノを手放すことは、どれほど大きな意味を持っているのでしょうか。
私のように本に執着していたのは、そこに固定された行動、パターン化された心の状態が守れる、といった一種の安心感があったからだと思います。周囲の状況がどんなに変化しようが、自分のパターンの中からはずれなければ心が乱されることもないし、心が乱されそうになったらいつでも本を読んでそこに没頭することで安心感を得られるのです。
しかし、もちろんそこには本当の安心感などありません。世界に関わらずに、つまり自分の世界、経験を広げずに、自分を偽って生きているのです。モノを手放せない人はそこに偽の安心感を見出そうとしているのです。
なぜモノを所有することで安心感を得ようとするのでしょうか。 モノというのは人がこの世で一番コントロールできる(と思い込んでいた、あるいは社会がそう思わせていた)からではないでしょうか。いつの間にか、あなたはこれこれを持っていると安心ですよ幸せですよ、と思い込まされていたのです。そしてその誰かが言った幸せを得るためにモノを持つことに夢中になってしまったのです。
モノの所有というのは、コントロールできないものをコントロールしようとすることであり、コントロールできない現実からの逃避であり、思考の固定化であり、そして、自分の成長や変化を妨げるものなのです。
そういったモノを手放すことによって、あるいは預かりモノとして大切にすることによって、その他のことも手放し始めます。後悔や期待、先入観や偏見、ルールやコントロール、主義主張などを手放し始めます。毎日毎日が、一瞬一瞬が、生き生きと感じられ、一体感と調和の中で生き始めます。
モノを手放してみてください。手放しながら自分の心の変化を感じて、自分の固定した心があれば見つめてみましょう。うまく行くときも行かないときもあるでしょう。
しかし、続ければ続けるだけ自由と生き生きとした感覚を得られるでしょう。