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世界という鏡の使い方

ヴィーナスの誕生・デュバル二枚

私たちの周りでは常にある事象があり、その事象は変化し様々なことが起こります。
自然は変化し、経済社会は変化し、人間関係は変化します。起こったことに対し、分析したり解釈したり、あるいは良いとか悪いとかと判断したりします。ある事象自体が客観的に存在していて、自分がそれをしっかり見ていて、客観的に判断していると考えています。

ニュース、他人の振る舞い、映画、本などを見ながら「断固反対だ」「素敵だ」「かわいそうだ」「最高だ」などと考え、さらに様々な判断や解釈まで付け加えます。そして、それぞれの人がこれらの考えが当たり前だと思っています。すべての人の見方が違うにも関わらず、自分の見方だけは正しいと思っているのです。

ここで提案です。
起こっている事象を「自身の鏡」として使いましょう。
起こっている事象の意味は自分だけがそう考えている、と思うのです。自分の心が映っていると思うのです。
何かを見て「醜いな」と思ったら、鏡の中に映った自分の心を見て「醜いな」と言っていると気づくのです。
何かの出来事に対して「美しいな」と感じたら、それは鏡に映し出されてた自分の心だと思うのです。

自分の周りでいろいろなことが起こっているなと感じている人は、自分の心を見つめる機会が多いということです。
自分が思っていることや感じていることを自分の中に見ようとするのはできなくはありませんが、鏡を見ないで化粧をしようとするくらい難しいことです(慣れれば簡単ですが)。
せっかく状況が自分の心を映し出してくれてるので、どうせならそれを鏡として使いましょう。その時その時の自分の心を映し出してくれているのですから。
物事に対して自分が思ったことは、自分の今の在り方なのです。

世界はなぜ存在するのか?

それは、

あなたが「自分の在り方」を、自分で決めるためなのです。

  

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