信心銘(六)

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有る無しとか、良し悪しとかの二元的な見方にとどまらず、決して追求しないことだ。
少しでも良いとか悪いとかの観念があれば、心は混乱し本来の一体性を見失ってしまう。
有る無しや良し悪しなど相対するものは絶対たる一に由来するし、その絶対たる一にも囚われてはいけない。
一つの観念もなくなれば、すべての行いや状況には問題がなく、すべての存在があるがままになる。

 

解説

ひとつの物事を判断するとそれがさらに細かい判断に進み、それがまた次の判断と絡み合っていきます。いつの間にか複雑な観念のループに入り込み、そこから抜けられなくなります。
もともと物事を判断すること自体が心の作用なのですから、心の動きを見つめることが最初で最期なのです。自分の心を見つめることだけが本来の一体性に在るスタートでありゴールなのです。
あらゆる観念を作り上げた心に戻ると、すべての二元的な見方が絶対たる一の中に消え、さらにその絶対たる一でさえ心とともに本来の一体性の中に溶け込むでしょう。

あらゆるものは心が作り上げているのです。
自分という存在でさえ心が作り上げた観念であり幻想なのです。ただそれらを作り上げる心だけが在るのです。
心だけが在るとき、全てがあるがままになるでしょう。

原文

二見不住 慎勿追尋 纔有是非 紛然失心
二由一有 一亦莫守 一心不生 萬法無咎

 

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