信心銘(十一)

文書1

自然の法則には間違いはないのに、愚かなものはそこに自分の好みを持ち込む。
心によって心のことを考えるのは、なんて大きな間違いであろう。
迷っているから安心と不安という状態を生み出し、悟れば好きとか嫌いとかの観念はなくなる。
すべてのことに良いとか悪いとかの相対する観念を立てるのは、まさにあれこれ考えることによるのだ。

 

解説

現象には意味はなく、ただ起こっていることが起こっているだけなのに、それが合っているとか間違っているとか、意味をつけるのは自分なのです。ただ起こっていることについて自分の好悪をつけ、自分の意味をつけて一喜一憂しているのです。
その上、自分で意味付け価値判断をした概念について、さらに悩むことしているのです。
現象はただただ起こっています。起こっていることはもうすでに終わっています。終わっている現象に対しては、何も価値判断する必要はありません。ただそのように起こるのが法則なのです。
自然の法則によって起こる現象に対して、自分が好むと定義した現象では安心し、自分が好まないと定義した現象では不安になるという状態を生み出すのは、全く無駄な心の作用なのです。そこから生まれるのは自分で作り上げた心の条件付けのなかでの喜び苦しみという経験です。現象に対して価値判断することが経験です。
現象はただ起こり、経験は自分の心が造りあげている。
心が全てを作り上げていることを知ることです。

 

原文

法無異法 妄自愛著 將心用心 豈非大錯
迷生寂亂 悟無好惡 一切二邊 良由斟酌

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