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突然!

突然

その日の夜、私は熱い風呂に入ってから、体が冷めるまで本を読んで、それからベッドに横になりました。

突然!

私は青空の下、雪山の中腹に立っていたのです。

急激な意識の広がり

「うわぁあ?!」

それが最初に感じたことでした。
目に入ってくる広い青空と真っ白な雪景色、そして呼吸するたびに肺に入ってくる冷たい空気。
分離していたものが一気に全体となったときの感動。
生まれて初めて味わう体験。というよりは、生まれたばかりの感覚。

少しばかり感動に浸ったあと、心に浮かんだのは、

恐怖。

「自分は一体誰だ?」
「ここはどこだ?」
「何で自分はここにいるんだ?」
「さっきベッドに横になってたのに!?」

何かうしろで声がする、「大丈夫?」「映夫くん、大丈夫?」「休んだら?」と。

「一体、この人たちは誰だ?」「オレに声をかけているのかな?」
もう一度まわりを見渡す。
すると、様々な観念が頭の中に入ってきました。

だんだんと、そして急速に、大量の観念が入ってくる。

「これが記憶なんだな。」

そして、自分が誰なのか、自分がなぜそこにいるのか、何をやっているのか、誰といるのかなどを思い出し始めました。

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これは、私が一時的な記憶喪失になったときの感覚です。

その日は、英会話の生徒たちと一緒にスノーボードをしに来ていたのですが、こぶ斜面でジャンプして着地に失敗し、頭を打ったらしいのです。
あとから話を聞くと、私はムクと起き上がり、ゲレンデの中央付近で歩き回り、いろいろな人に「ここはどこですか?」「今は何年ですか?」と聞いて回っていたそうです。

視界が二重になりうまく動けそうもないので、早めに切り上げ大きな病院に行きました。
CTを撮り診察の結果、顕著な異常は見られなかったのですが、その後3日ほど視界が歪み、歩くのが困難なほどでした。

さて、ここで書きたいのは、私が体験した記憶を失ってから戻る瞬間というものが、実は、私たちが新しい体験をするときの純粋な感覚だということなのです。

私たちは、様々な体験を日々していますが、大抵は過去の記憶や情報で判断しています。

「この体験は以前のこの体験と同じものだから、こう反応すればいい。」
「これは前にやったことがあるから、あまり感動しない。」
「同じことばかりでつまらない。」

毎瞬の体験を、過去の体験の比較によって、こんな風に判断しています。

しかし、本当は体験というのは、いわば「あぁ!」っという新鮮な驚きであり、意識が無限に広がることなのです。
そして同時にその新しい体験は過去の自分にとっては恐怖でもあるのです。過去の記憶によって出来上がっている自分は、純粋な体験をすることで自分の存在がなくなってしまうので、それがとても怖いのです。ですから、過去の自分(自我)は今ここの純粋な体験を裂けようとするのです。

みなさん、もう一度自分の今ここの体験を純粋に味わってみてください。
今この瞬間どんなにすごい体験をしているかを、先入観なしに怖がらずに味わってみてください。

うわぁあ。

今ここに在るって、なんて素晴らしいことなんだろう!

生きるとは、 純粋に体験すること。

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