感情(在り方)というものは、常に私たち自身が選んでいるものです。例外はありません。
嫌なことをされたら嫌な思いをするのは自然だ、大災害は誰にとっても不幸な出来事だ、辛さや哀しさやは自分で選べるものじゃない、などと考える人は多いでしょう。しかし、その同じような経験に対しての在り方が千差万別なのを見ると、やはり自分で選んでいることが分かります。
多くの人の場合、普段の感情があまりにも習慣化し自動的な反応になってしまっているために、自分の感情を最初に選んだことさえ忘れてしまっています。あるいは幼少時の教育や両親などの影響によって刷り込まれたことを忘れてしまっています。その選んだ感情をさらに複雑な経験に結びつけて習慣化しているので、なぜその感情があるのかも理解できなくなっています。
状況や物事がある決まった感情と結びついているのは、その状況や物事に対して自分がどんな在り方を選んでとっているのか、どんな在り方の条件付けをしてしまっているのかを示しているのです。
これまで物事や状況に対して持っていた感情を全て自分で選んでいたというっことが分かれば、これからは状況や物事に対して違った感情(在り方)を選ぶのではないでしょうか。
あることが起きた時に、自分がどんな感情的な反応をするのかを見つめ、そしてそれをどう変えたいのか考えるようになるでしょう。
どんな感情(在り方)を自分は望んでいるんだろうか。自身の内面を豊かにしてくれる感情は 何だろうか。
それを突き詰めた時、その在り方が感謝だということに気がつくのです。
あること(いままでは嫌だと感じたことでも)が起こったら「有り難いな」なのです。
どんなことが起こっても「有り難い」のです。
どこにいようと何をしようと何をしていなくても、誰といようと一人でいようと、出てくるのは、即「有り難うございます」です。
黒住宗忠の歌につぎのようなものがあります。
『何事も有がたひにて世にすめば 向かふものごと有がたひなり』
(『生命のおしえ』平凡社、P190、文集143号)
とても良い歌です。また、とても深い歌です。
さあ、もう選ぶのは、「今ここ感謝」ですね。
ありがとうございます。