私が大切にしていることの一つに、「人から言われたことではなく、自分で決めたことを自分の力でやり遂げること」というのがあります。
一見してみると、人から言われたことも、それが有名人や実力のある人の言葉なら素直にやって、実際それをやり遂げればうまくいくのではないかと思うのですが、どうもそれではだめなようです。
これは私が医学部受験や英語、ヨガやバレエの指導をしてきた上で分かったことなのですが、生徒にアドバイスをすると「はい」と受け答えをしそれを実行しているだけの人はあまり成長がないのですが、逆にあまり言うことを聞かなくても、自分でテーマを見つけ、あるいは私が何気なく言ったことから自分なりの課題を見つけ実行していく人が伸びているのです。
生徒たちを観察していると、彼らにとって教師としての私は、学ぶ模範としてではなく、自分の課題を見つけるきっかけとして存在するということです。自分の問題点の鏡として利用していると言っていいでしょう。ですから、何か問題点を指摘されてそれを直すことよりも、自分の問題点を自分で見つけ、それを解決していくことに集中しているのです。
これに反対する人もいるでしょう。他人が正確な指摘をしてそれを修正していく人は伸びているのではないか、と。確かに、一時的にはそう見えるかもしれません。しかし、長い目で見ていくと、その人は自分で自分の課題を見つける習慣がなくなり、結局自分で考えることをしなくなります。
もし他人が指摘したことを実行しても、大抵、それは自分の課題としてとらえていないことが多いので、空回りな行動をしたり、嫌になったり飽きたりします。
もちろん、他人が指摘したことが自分の課題としていたことと一致すれば、それは真の成長になるでしょう。
このことは、モノとの関係と密接に結びついているのではないでしょうか。
自分が所有すると選んだモノに囲まれている時は、喜びの中で生きていますが、他人の価値観によって所有したモノに囲まれている時は、おそらく不要なモノ、無駄なモノだらけになるのではないでしょうか。
不要なモノを処分していくと、このことがよく分かってきます。自分が本当に大切にしているものを選び所有することは自分の成長につながるのです。逆にマスコミや他人が持つべきだとするモノに囲まれていると成長できなくなります。
他人にどう見られるか、どう思われるかを気にするのではなく、自分が自分をどう思うかが大切なのです。そして自分で決めたことを自分の力でやり遂げることが、成長になるのです。
自分の周りのモノを見つめてみましょう。それは自分が本当に選んだモノですか。他人の価値観で所有していませんか。そうであれば手放しましょう。
また、自分の心を見つめてみましょう。今考えていることは自分で選んだ思考ですか。他人の価値観をそのまま自分の価値観だと思っていませんか。そうであれば手放しましょう。
この人生は、他人の価値観を生きるためにあるのではないのです。自分が決めたことを自分で経験していくためにあるのです。「自分の決めたことを自分の力でやり遂げる」ことが、自身の成長になるのではないでしょうか。