全肯定

なぜ私たちは、相手の意見にムッときたり、言い返したり、否定したり、正そうとするのでしょう。

誰かと議論や言い合いになったり、うまく会話が噛み合ないときは、自分の意見が相手に否定されたと思い、相手の意見から自分の意見を守ろうとするために起こります。

例えば会話で、誰かが「愛が大切だ」と言って、他方が「いや違う、愛なんて一時的なもの」と答えたとします。
一人は人類愛のことを言っていて、もう一人は恋人にふられたばかりのときだったかも知れません。
お互いに自分の意見は正しいと思い、そうすると、相手が間違っていると思い、言い合いになります。

そこにまた第三者が入ってきて、「二人とも違います。愛とは全てですよ」と言います。
そして、また、他の誰かが出てきて「あんたら皆違うで、愛を含めて、全ては幻想やで」と言います。
それを聞いていた子供が「愛ってなあに?」と。

結局、これらの人は全て「自分の立場」で愛について話しているのです。どちらが良いとか、どちらが優れているとかはないのです。
ただ立場が違っているだけなのです。

それぞれの視点、立場、定義、その言葉にまつわる経験などが違っていて、それぞれ自分の考え(自我)だけから話しているので一致するはずがないのです。全ての人の視点や立場は違うのですから、同じになることはありません。同じように見えることがありますが、それさえもしっかり見ると違いますし、あるいは同じだと勘違いしているだけです。

そうすると(議論や言い合いが好きな人をのぞいて)、私たちができるのは、自分の立場と同様に相手の立場を認め、そこから来る相手の意見を立場とともに肯定することなのです。
この人は自分の立場でこういうことを言っているんだな、自分の立場から考えているんだな、と。
その人の全ての考えや意見はその人にとっては正しいものなのです。その人の立場からそう考えているんだなと全肯定できるのです。

自分の意見自体が自分の立場を前提にあるのに、相手の意見を相手の立場を無視して変えようとすること自体無理なのです。相手の意見を完全に変えるには、その前提となる相手の立場も一緒に変えなければなりません。それはできない話です。

皆それぞれ自分の生を生きています。自分の体験、自分の立場しか知らないのです。相手の生、立場を理解しようとするのも一つのやり方かも知れませんが、それは不可能です。せいぜい相手の立場に思いを馳せるくらいのことです。

最後に残る方法は相手の立場だけから来る相手の意見を全肯定するということだけなのです。

何かが良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、それらすべては一つの立場からの価値観です。
まずは、自分自身の立場と価値観を全肯定し、それから一人の相手の価値観を肯定し、二人、三人と増やしていくと、あらゆる立場の価値観や考え方を全肯定するようになるでしょう。

自分と相手の立場を全肯定すること。

すべての価値観を肯定するとき、一体何が起こるのか。自分自身で体験してみましょう。

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