私は誰か?(9)

9.心の本性を理解する探究の道とは何でしょうか?

身体の中に「私」として立ち現われるものが心である。もし身体の中のどこに「私」という想念が最初に現われるかを探究するならそれはハートの中に現われることが発見されるだろう。そこが心の起源となる場所である。絶えず「私」、「私」と考えても、人はその場所に導かれていくだろう。心の中に現われるすべての想念の中で最初に現われるのは「私」という想念である。この想念が現われたあとにのみ他の想念が現われる。二人称と三人称の人称代名詞が現われるのは一人称が現われたあとのことである。一人称がなければ二人称、三人称も存在しないだろう。


解説

心の本性をどうやって理解するのか?
それは考えの根源を探ることだ。考えがどこから来るのかを観察する。次に全ての考えは誰がしているのかを観察する。考えている「私」を観察すると、それはハートの部分に現れることを発見する。しかし、そのハートという位置は、想念の世界での比喩だ。

考えの根源を探る前に、多くの人は最初は自分を取り巻く世界という想念に圧倒され、様々な感情に振り回されることだろう。人はあまりにも想念の世界に巻き込まれている。想念の世界に意味づけをし、そこに執着し離れられなくなっている。
そのような場合、起こってくるどんな感情でも、それが心地よいものであろうと不快なものであろうと、その感情が想起する瞬間に気づくことだ。その感情が考えに意味を与え執着し、それが習慣化された心の反応であることに気づくことだ。まずはそこにとどまること、それが最初だ。

感情という考えへの執着から解放された時に初めて、考えの根源を探ることができる。そして、「そう考えているのは誰か?」「私は誰か?」と問い続けること、それが心の本性を理解する道だ。


原文
What is the path of inquiry for understanding the nature of the mind?

That which rises as ‘I’ in this body is the mind. If one inquires as to where in the body the thought ‘I’ rises first, one would discover that it rises in the heart. That is the place of the mind’s origin. Even if one thinks constantly ‘I’ ‘I’, one will be led to that place. Of all the thoughts that arise in the mind, the ‘I’ thought is the first. It is only after the rise of this that the other thoughts arise. It is after the appearance of the first personal pronoun that the second and third personal pronouns appear; without the first personal pronoun there will not be the second and third.

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

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