信心銘(九)

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観念によって作り上げられた道というものに執着すれば、度を失い間違った状況の中に入り込む。
道に対する観念を手放すと自然と大いなる道にあり、それは無くなったり現れたりするものではなく、もともとそこに在るものだとわかる。
本来の性質に合わせていれば、そのまま道に合ったものになり、ゆったりとしていれば、一切の悩みは無くなる。
心を乱していると本来のものに背いてしまい、心が暗く沈んでしまうのでうまくいかない。

 

解説

本来の一体性というものを観念だけで捉えて、知的に分析して理解しても、それは本当の道にあるどころかさらなる観念の迷路に迷い込みます。
道にあるには、道に関する観念でさえも手放し、何ものにも捉われないようになることです。とらわれないこと、自由であること、ただ在ること。本来の道はもともとここに在るのです。
自と他というものは観念の働きと同時に生まれます。観念により生まれる自分というものを手放すと、同時に他というものも消え、自然とそこには本来の一体性である道しかなかったと知るのです。
道を観念で理解しようとせず、観念を作り上げた意識を見つめることです。作り上げられたものを見つめることで、それを作っているものの本来の姿が現れるでしょう。

 

原文

執之失度 必入邪路 放之自然 體無去住
任性合道 逍遙絕惱 繫念乖真 昏沉不好

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