老子超訳(第一章)

『道』(さとり、真理,真我など)というのは言葉で示すことができるものではありません。もしそれを名付けてしまったらもうそれは『道』ではないのです(この表現自体がパラドックスですが)。

言葉に表せない、言葉それ自体を支えているもの、世界を支えているもの、宇宙を宇宙たらしめているものが存在するのです。
それは体験そのもの,存在そのものなのです。言葉で表そうとした途端、『道』(真理)を認識できなくなるのです。
真理を説明しようとしたり解釈しようとしたりすると、一体という体験を分離し、区別し、対立させることになり、『道』(真理)から離れていきます。

理解や言葉は『道』(真理)を指し示すもの、禅仏教で言う月を指す指にすぎないのです。月そのものではないのです。
理解や区別、解釈や定義をやめ、ただ在ること。その体験こそが『道』という私たちの世界を作り上げている始原、大元なのです。
全身全霊による体験が、悟り,真我と言われる『道』なのです。

 

原文

「道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始,有名萬物之母。故常無欲,以觀其妙;常有欲,以觀其徼。此兩者同出而異名,同謂之玄,玄之又玄,眾妙之門。」

 

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