15.
探究はどのくらいの期間 修練されるべきでしょうか?
心の中にものごとの印象がある限り、「私は誰か?」と尋ねなければならない。想念が起こったなら、そのとき、その起こったまさにその場で問うことによって破壊されるべきである。もし真我に到達されるまで、不断の真我の黙想に打ち込めばそれだけで想念は消滅するだろう。要塞の中に敵がいる限り、敵は反撃を続けるだろう。もし敵が姿を現すたびに滅ぼしていけば要塞は我々の手中に落ちるだろう。
解説
想念を捨て去りきるためにはどれくらいの期間を要するのか?
それは時間の問題ではない。真剣さの問題だ。常に想念を捨てることだ。
常に起こってくる想念の源を見つめること。どんな想念であれ、それがどこから起こっているのかを見つめること。それだけが想念が実在ではないことを見破る。
「真我に至るにはどれくらいの探求の期間が必要なのか?」という想念でさえ捨て去ること。どんな瞬間も起こってくる想念を見つめる真剣さにより、実在である真我が姿を現すことになる。
「そう考えているのは誰か?」「私は誰か?」という問いを続けることで、その問いでさえ消え去るだろう。
全ての想念が消えた時、実在である真我が姿を現す。
原文
How long should inquiry be practiced?
As long as there are impressions of objects in the mind, so long the inquiry “Who am I?” is required. As thoughts arise they should be destroyed then and there in the very place of their origin, through inquiry. If one resorts to contemplation of the Self unintermittently, until the Self is gained, that alone would do. As long as there are enemies within the fortress, they will continue to sally forth; if they are destroyed as they emerge, the fortress will fall into our hands.
ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻