私は誰か?(18)

18.
帰依者の中で最もすぐれているのはどのような人でしょうか?

神である真我に自分自身をゆだねきった人が、最もすぐれた帰依者である。自分自身を神にゆだねるとは、真我という想念以外のいかなる想念も起こることを許さず、ひたすら真我の内にとどまっていることである。どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜ我々はその力に身をまかせず、何をどうするべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?我々は列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭に載せて苦労する必要がどこにあろう。荷物を下ろして安心しなさい。


解説
真我が姿を現すためには、人は一体どんな状態でいればよいのか。
それは自我がない状態だ。私という想念でさえないことだ。
想念によって想念を無くそうとしてはいけない。想念の上塗りになるだけだ。「そう考えているのは誰か?」「私は誰か?」という問いを続けることで、問い自体を起こしている私という想念自体が消え去る。
私というものが存在していたという想念は消え去り、私が行動していたという想念も消え去り、私が生まれ死にゆくという想念も消え去る。私という想念が消え去ると私が抱え込んでいた様々な想念が消え去る。
ただ在るのは実在である真我だ。

原文
Of the devotees, who is the greatest? 

He who gives himself up to the Self that is God is the most excellent devotee. Giving one’s self up to God means remaining constantly in the Self without giving room for the rise of any thoughts other than that of the Self. Whatever burdens are thrown on God, He bears them. Since the supreme power of God makes all things move, why should we, without submitting ourselves to it, constantly worry ourselves with thoughts as to what should be done and how, and what should not be done and how not? We know that the train carries all loads, so after getting on it why should we carry our small luggage on our head to our discomfort, instead of putting it down in the train and feeling at ease? 

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

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