私は誰か?(20)

20.
神やグルは、魂の解脱をもたらすことはできないのでしょうか?

神やグルは解放への道を示すだけだろう。神やグルが人を解脱の状態に連れて行くわけではない。実際は神とグルとは異なるものではない。トラの顎にくわえられた獲物に逃れるすべがないようにグルの慈悲深い眼差しにとらえられた者は、グルによって救われ見捨てられることはないだろう。けれどもひとりひとりは、神あるいはグルによって示された道を自分自身の努力で究め解脱に達しなければならない。人はただ自分の智慧の目によってのみ、自分自身を知ることができる。ラーマ神がラーマ神であることを知るために、鏡の助けが必要だろうか?


解説
神の信仰やグル(精神的指導者)の指導のもとにいるだけでは、実在に至ることはできない。これらは単なる実在への指標だ。私がどこに向かえば良いのかだけを示してくれるものだ。
神であろうがグルであろうが、実はすべてが自分が作り上げてる想念だ。実在に至るとそれらの想念もすべて消え去る。

実は、起こっていることはすべて真我への道、指標であると言える。起こっていることがすべて自分が起こしている想念であるなら、それらを消し去ることが道になるからだ。つまり、起こっているどんな想念であれ、それらを消し去ることで真我への道になるのだ。
真我は自分以外のものを消去していくことによってのみ現れる。目的地に着いたら地図は必要がないのと同じで、神であれグルであれ、すべての想念は、実在のもとでは必要がない。

「そう考えているのは誰か?」
「私は誰か?」

これらが最後の指標になる。

原文
Is it not possible for God and the Guru to effect the release of a soul? 

God and the Guru will only show the way to release; they will not by themselves take the soul to the state of release. In truth, God and the Guru are not different. Just as the prey which has fallen into the jaws of a tiger has no escape, so those who have come within the ambit of the Guru’s gracious look will be saved by the Guru and will not get lost; yet, each one should by his own effort pursue the path shown by God or Guru and gain release. One can know oneself only with one’s own eye of knowledge, and not with somebody else’s. Does he who is Rama require the help of a mirror to know that he is Rama? 

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

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