自分の想いを宇宙と調和せしめる。
自分の行動を宇宙と調和せしめる。
自分の言葉を宇宙と調和せしめる。
結局は、自分の想いと行動と言葉が調和し、それが宇宙と調和すること。
それはすべて愛の本源であり、光の本源である。
それは求めるものではなく、自分がそれそのものであると、今、ここで、気づくことである。
宇宙も自分も、すべては愛そのものであることに気づく。
生きるとは、そういうことではないか。
自分の想いを宇宙と調和せしめる。
自分の行動を宇宙と調和せしめる。
自分の言葉を宇宙と調和せしめる。
結局は、自分の想いと行動と言葉が調和し、それが宇宙と調和すること。
それはすべて愛の本源であり、光の本源である。
それは求めるものではなく、自分がそれそのものであると、今、ここで、気づくことである。
宇宙も自分も、すべては愛そのものであることに気づく。
生きるとは、そういうことではないか。
私たちがどんな人間かというのは、普段繰り返しやっていることで決まります。
私たちは知らず知らず習慣を形作っています。そしてその習慣が私たちはどんな人間なのかを決めるのです。
いつも自分がどんな在り方をしているか、それがいつもの自分を形成します。
特別にすごいことを考えることが自分を形成するのではなく、全く意識していない習慣こそが自分なのです。
ですから、在り方、感情に注意を払い、自分の最高の在り方、自分が想像できる最高の感情を抱き、考えられる限り最高の在り方を習慣にするのです。
私たちの思考や言動の状態、つまり私たちがどんな波動を放射しているかによって、どんな物事を創造するのかが決まるので、今の感情をできるだけ意識していることが肝心だ。
そのためには、まずは、喜び、愛、幸福感、ワクワクした気分、満足感、安心感、自信、感謝、リラクセーション、力強さといった感情をできるだけ選ぶことだ。
誰が何と言おうと、状況がなんであろうと、いつもいつも気持ちよくいることだ。
何が見えるかは、どういう見方をするかで決まる。
どうせなら、世界を最高の見方で見てみようではないか。
すると、何が見える?
日ごろ、皆そうだろうが、いろいろな店に寄ることが多い。
コンビニ、喫茶店、書店、電器店、スポーツ店、衣料品店、ホームセンター、自動車店、ゴルフ練習場、体育館、などなど。
店で人と接するとき、いつも笑顔でいる(へらへらしている)のだが、そうしていると頻繁に思った以上のサービスを受ける。
スターバックスでは、店員さんと仲良くなり、ただでお代わりがくるし、時々店員さんの自腹でデザートまで出してくれる。
そのほかにも、思い出せないほど多くのサービスを受ける。
昨日、ゴルフ練習をしたとブログに書いたが、そこでもにこにこしていると、受付の女性が、終了時間を20分も長く記入してくれた。
感謝。
だから、昨日は2時間20分も練習し、そのあと40分ほどパッティングの練習をしたので、本当に満足のいく日だった。
パッティングの間は、天気も穏やかだったせいか、鳥たちが飛び交い、屋上でやっていたにもかかわらず、高原で練習している気分になった。
鳥が飛んでいる様子にも笑いかけることができた。
感謝。
練習が終わり、CCレモンをがぶ飲みした後、車に戻ると、
先ほど気持ちよく眺めていた鳥たちによって、
車がウンコだらけにされていた。
感謝。(ToT)
今日は昼間はトレーニングをし、そのあと知り合いのバーベキューに合流した。
トレーニングは変わらずヨガ、ジョギング、バスケットボール、サッカー、ゴルフスイング。
川原でのバーベキューはあいにくの雷雨で中断に続く中断で、人も少なかったが、そこに来ていたこどもたちと遊ぶことができた。
スイカ割りや水遊び。
こどもと一緒にいると本当に楽しい。
純粋な魂に触れることができる。
こどもたちの笑顔で自分の心も純粋になる。
大雨のため川が増水し、帰り道の険しい上り坂でこどもたちを抱きかかえてあげた時、ぎゅっとしがみつくその存在を、命をかけて守ろうと思う。
その瞬間、自分の存在すべてをかけてこどもたちを守ろう、と本気で思うのだ。
子を持つ親は皆そういう気持ちでいるにちがいない。
こどもの純粋な魂は、それだけで世界を癒す。
輝いた目、ほほ笑む顔、躍動した動き、瞬間を享受する在り方。
こどもはすごい。
こどもたちと一緒に過ごす時間。
この瞬間にすべてを、自分のすべてをかけて接しようと思う時間。
一番好きな瞬間。
しばしば、
今の自分がどうやってできたのか?
と考える。
そして、いつも最後に行き着く結論は
今の自分は、自分の思いの結果であるということだ。
環境など、自分の思い以外のものに原因があるとするのは、間違いだ。
環境は自分がどういう人間であるかを示すものである。
自分自身が今の自分の原因である知るとき、世界は自分の思い次第であると気づくであろう。
世界がどういうものかという思いは、その人自身の在り方を示しているだけなのだ。
あらゆる思いは、その人がどういう人間であるかを示しているにすぎない。
物事の解釈、環境の捉え方、人の好き嫌いなど、その人が、自分がどんな人間であるかを言っているだけにすぎない。
物事がそうであるのではないし、環境に恵まれているか、人が良い悪いでもないのである。
ただ、ただ、その人の在り方を表しているだけなのである。
物事をどう見るか、世界がどんなものであるか、すべてが自分の在り方で決まるなら、自分ができる最高の在り方を選ぼうではないか。
愛。