感謝を行為する

私たちは今ここに生かされています。
生かされていると感じると、今ここに感謝で生きるようになります。今ここで感謝を表すでしょう。

もちろん、ここで言う感謝を表すというのは、言葉で「ありがとうございます」ということだけを言っているのではありません。その在り方(想像)をこの世界に形として現わ(創造)していくことなのです。
世界にはいつも自他の関係性が映し出されているので、それを使って想像と創造とを結びつけることができるのです。

以前、「迷ったら掃除」と書きました。
それは、掃除によって在り方と行動が結びつき、心の中がスッキリとしやすいためです。

しかしなお、意識の汚れを取り感謝に戻った後でも、想像を創造に結び付けられない人が多いようです。
そうなると、行為が与える結果を感じることができないので、人の気持ちが感じられないことになります。
そうならないためには、自身の行為が体験と密接に結びついていることをすることです。
例えば、穴を掘る行為は手で行うと、行為の感覚と結果が自分の手や体、疲れや満足感として直接かんじられます。しかし、シャベルカーを使って掘った場合、その感覚と行為の結果は手によるものほど感じられないでしょう。

手書きの文章とキーボードから打つ文章の違いもそうです。手書きでは微妙な力加減が文字に現れますが、キーだと強く叩こうが弱く叩こうが押すだけで同じ文字が出てきます。
自分で走るのと車に乗って走るの違いもそうです。アクセルを踏めば息もあがらずにスピードを出せます。
自分の足で走っていて人にぶつかれば自分の体に痛みを感じますが、車で人にぶつかっても何も感じません。このような行為は、私たちが注意していないと今ここ感謝から離れていく要因でもあるのです。そして注意していない場合がほとんどなのです。

子供のころにパソコンやゲーム、テレビやマンガばかりで育つと、この行為と結果の感覚に乏しい大人になり、今ここ感謝を表すのが難しい人が多いようです。
一方、泥遊びや木登り、絵を描いたり習字をしたり、雑巾がけや皿洗いをしたり、植物や動物を育てたり、相撲やドッジボールなど、自分の体を直接使って行為の結果を経験できることを多くしてきた人は、今ここ感謝にすぐ戻れるようです。

しかし、どんな人でも、今ここがスタートになります。
私たちは生かされているということを思いだし、心の鏡の汚れを落とし、自身の行為が世界にどう現れるのかを知り、生かされていることへの感謝を世界に現わすことです。
行為自体が感謝になるときが、きっと来るでしょう。

ありがとうございます。

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