全てで在ること

「今ここ」に完全に在る、それは体と精神と魂が統合し、全人的な存在になることです。
それ以前には、自己という制限された存在の中に意味を見いだし、自己以外のものに意味を見出し、それを所有することによって自分の存在を主張してきました。
しかし、今ここに完全にあれば、宇宙の大きなパターンと融合し、その秩序を理解することができ、智というものは直接知であり、自分の人格を周りの全てと統合することになります。
今ここは聖なる場所で、無限に広がる今ここの現実性を超越した状態に繋がります。物理的世界を超え、自身の中に全体性を創り出し、その存在に現実の世界で与えられる限りの最高の意義を持たせることになります。
人が生きていることの意味、人間の体がなぜこういう形なのか、なぜ宇宙を今そう見えているように見ているのか、なぜ私たちがさまざまな物事で悩んだり、努力をしたりしているのか、全てのことを直接に理解します。
「私」というものはいなくなり、全ての存在、宇宙、全てのエネルギーが私と同意になります。私が宇宙に溶け込むと言うのでしょうか。
一滴の水が、「私は水滴だ」「私は雲だ」「私は雨だ」「私は川だ」「私は汗だ」「私は涙だ」などと言っていたのが、海に戻り「私は海だった、そして全てだった」と悟ります。
私以外のものとの差が取れるのです。これこそ差取りの本当の意味なのでしょうね。
そして、全ての物事に対して、感謝の気持ちがあるだけなのです。

ありがとうございます。

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