褒め称える

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モノの持ち方、集め方、扱い方は、その人が世界とどう関わっているかを顕著に表してしるのではないでしょうか。

例えば、孤独感や喪失感は、しばしば人を過食や過剰な買い物に走らせます。同じ人が気分が良い時には、大切にしているモノを人に躊躇なく与えることもあります。いつかそのモノを使うと言いながら家をゴミ屋敷にしてしまう人もいれば、後半生には3つのモノしか所有しない人もいます(写真)。

人が不要なモノを所有する時、それは自分と世界との分離感によって起こるようです。分離イコール孤立なので、世界と比べると自分というものが小さく思われます。小さい自我は自分を膨らませようとし、モノを所有することで、『これは私だ。これは私のモノだ。だから私は大きい、偉い。』と孤立感、世界との分離を解消しようとします。しかし、それはうまく行きません。うまく行かないことに気づけば良いですが、未だに優勢な現代の価値観は『まだまだ足りない、もっと所有して大きくなろう、“成功”しよう。』と自我を刺激します。

興味深いことに、人というのは自分の所有しているモノを欲しいとは思いません。モノが自分と一体化していると感じているのです。逆にそのモノは自分のものでない、自分と分離している、と考えるとそのモノを欲しいと思います。そしてそれを所有しようとします。人は分離感があるとモノを所有しようとします。そのものを愛しているというというよりは、そのものを所有することによって、分離から生じた小さな自我を膨らましている状態です。

自分の所有物を見直し、不要なモノを処分し、整理整頓することは、自我を整理整頓することになり、自分と世界との関わり、自分が世界とどのくらい一体化しているのか、どのくらい調和しているのかを見つめる機会を得ることにはなります。

モノを手放すということは、それによって、自我を小さくしていくことになり世界との一体化を容易にします。

モノを手放した後、残っているものに意識を注ぎ、それをこの世界での大切な借り物だと気付けば、ますます世界との一体化,調和に近づきます。

全ては借りものです。自分のモノなどないのです。この体でさえ借りたもの、預かりものなのです。不要なモノを手放し、残った預かりものを大切にすることは、世界と一体であり調和している現れでしょう。

調和した心は、咲いている花を見て、ああ綺麗だ、と感じ褒め称えます。世界と分離した自我は、花を自分とは別のものだと思い、その花を切り取って持ち帰り、こんな花を持っていると自我を満足させます。花を見た時に感動し褒め称えることは、私たちの世界との調和の体験を表しています。

モノを手放し、“預かりもの”を褒め称える時、私たちは世界と一体となっているのです。

それは今ここ感謝の現れなのです。

ありがとうございます。

*写真は、腰布・杖・水差しだけを持っていたと言われるラマナ・マハルシ。

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