私は誰か?(序)

私は誰か?
Who am I ?
(Nan Yar)

生きとし生けるものは、いつでも幸福であることを願い、不幸でないことを願っている。誰にとっても、そこには自分自身への至上の愛が見られる。そして幸福だけがその愛の源なのである。それゆえ、人間の本性である幸福、想念のない深い眠りのなかで体験される幸福を手に入れるために、人は自分自身を知らねばならない。そのためには、「私は誰か?」という問いで探求する知識の道が最も重要な方法である。

解説

全ての存在は、その最奥においては愛の源にある。
人は真の自分自身を知らないために、作られた想念の中陥り、世界に翻弄される。
存在の最奥は常にここにある。

最奥を見失ったとき、「それを考えているのは誰か?」、「私は誰か?」と、これらの質問で真剣に探求することが重要だ。

そして、最奥の源は常に共にあることを思い出すだろう。


原文

As all living beings desire to be happy always, without misery, as in the case of everyone there is observed supreme love for one’s self, and as happiness alone is the cause for love, in order to gain that happiness which is one’s nature and which is experienced in the state of deep sleep
where there is no mind, one should know one’s self. For that, the path of knowledge, the inquiry of the form “Who am I?”, is the principal means.

ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください