スッタニパータ 26・27

26.
牛飼いダニヤが言った、
「私には雌牛もいるし、子牛もいる。孕んだ雌牛もいるし、若い雄牛もいる。牛たちのリーダーである雄牛もいる。神よ、もし雨を降らしたいと望むなら、降らせるがいい。」
27 師は言った、
「私には雄牛もいないし、子牛もいない。孕んだ雌牛もいないし、若い雄牛もいない。牛たちのリーダーである雄牛もいない。神よ、もし雨を降らしたいと望むなら、降らせるがいい。」

解説

十分なお金があれば、、、
十分な健康があれば、、、
十分な技術があれば、、、
十分な時間があれば、、、
十分な人材があれば、、、
十分な制度があれば、、、
十分な地位があれば、、、
十分な能力があれば、、、
十分な環境があれば、、、
十分な人間関係があれば、、、

ほとんどの人たちはこのように考え、それが満たされれば自分は完全に平安を得られるだろうと考えています。

依存している物事からの保障が一生涯あるから安心できる、このような保障の依存による心の平安というのは結局は、自分の中に永遠に平安がないという宣言でしかありません。死ぬまで一生涯自分の心の平安を自分以外のものに託しているということです。
真の心の平安は、外部の状況には関係なく、経験の中にただ「在る」ことによって見出されます。
経験の中にただ在ること、善悪の判断なしにただ「在る」こと、そこに本当の自分を、全てと一体となった全体としての自分を見出すことでしょう。

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