8.心の本性とは何でしょうか?
「心」と呼ばれているものは、真我に内在する驚くべき力である。心はすべての想念を起こさせる源である。想念を離れて心のようなものは実在しない。それゆえ、想念が心の本性である。想念を離れて、世界と呼ばれる独立した実体があるわけではない。深い眠りの中に想念はなく、世界もない。クモが自分の中から糸を出し、それをまた自分の中に引き入れるのと同じように心はそれ自身から世界を投影し、再びそれ自身の中へ還元させる。真我の中から心が外に出るとき、世界が現われる。それゆえ世界が(実在として)現われているとき真我は現われない。人が絶え間なく心の本性を探究し続けるならば心は真我をあとにして死滅するだろう。「真我」と呼ばれているものは、アートマンである。心はつねに何か粗大なものに依存することによってのみ存在する。それはひとりであることができない。微細身あるいは個我(ジーヴァ)と呼ばれているのは、心である。
解説
心、それは想念の集合だ。心が捉えている世界というものは想念の一つだ。
考え・想念に対して「それを考えているのは誰か?」「私は誰か?」と問い続けることによって、心の源を見つめることだ。そうすれば、心というのは想念の集合だということに気づくだろう。
私というものが現れるとその瞬間に世界という想念が現れる。深い眠りの中にいる時、私はなくなり想念もなくなる。世界もそこにはない。
私が現れ、その心が想念だと気付き、私が現れると同時に現れる世界が想念であり実態がないと気付くとき、心が消え失せ、実在である真我が現れる。
原文
What is the nature of the mind?
What is called ‘mind’ is a wondrous power residing in the Self. It causes all thoughts to arise. Apart from thoughts, there is no such thing as mind. Therefore, thought is the nature of mind. Apart from thoughts, there is no independent entity called the world. In deep sleep there are no thoughts, and there is no world. In the states of waking and dream, there are thoughts, and there is a world also. Just as the spider emits the thread (of the web) out of itself and again withdraws it into itself, likewise the mind projects the world out of itself and again resolves it into itself. When the mind comes out of the Self, the world appears. Therefore, when the world appears (to be real), the Self does not appear; and when the Self appears (shines) the world does not appear. When one persistently inquires into the nature of the mind, the mind will end leaving the Self (as the residue). What is referred to as the Self is the Atman. The mind always exists only in dependence on something gross; it cannot stay alone. It is the mind that is called the subtle body or the soul (jiva).
ラマナ・マハルシの本の紹介
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
ラマナ・マハルシとの対話 第1巻
ラマナ・マハルシとの対話 第2巻
ラマナ・マハルシとの対話 第3巻