一と多

私というものは何か?
私というのは意識であり心であるのですが、それは一つの幻想の在り方で、生成と消滅というドラマを繰り返しています。
それは、分離と統合、反感と共感、愛と不安、でもあります。

私は自身を体験するために、一(無、統合)から多(有、分離)という在り方をとります。
それは次のような繰り返しになります。

1
2
3

根本は一体なのですが、自と他の分離という認識によって他に映る自分を知覚し体験します。
これがあらゆる存在の段階で起こります。
この生成と消滅のおかげで、分離や統合、反感や共感、愛と不安が体験できるのです。
人間、動物、植物、鉱物、星も、銀河も、そして、宇宙もしかり。
そして、心での一体感や分離感、愛や不安、共感や反感もしかり。
これら相反する物事や在り方の両方とも必要なものなのです。
一方を否定するともう片方も否定することになるので、結局両方とも必要なのです。

愛が在るためには不安が必要なのです。
一体感を感じるためには分離感が必要なのです。
共感するには反感が必要なのです。
生徒がいなければ先生が必要ないように、患者がいなければ医者が要らないように、この宇宙には体験するために自分でないものが必要なのです。
ポジティブが存在するためにはネガティブが無ければならないのです。

すべての存在が自分と反対のものの認識を前提としています。
その無限の組み合わせの中から選択します。
そして、その選択した体験をし、それを十分に体験したら消滅(統合)します。

しかし、認識している裏では全てがつながっているので、そこには常に一体があります。
図(つまり認識)では薄いグレイ(一)と濃いグレイの丸の二つ(多)が見られますが、そのまわりの白い空白部分は私たちは認識していません。
認識していなくても一と多はいつでもつながっているのです。

これが生命・宇宙の経験のしかたです。
私たちはいつでも一体なのです。
一体というのは、ある意味パラドクスです。
そのことをいつも思い出して生きることです。

老子超訳(第三十九章)

一

その昔から、一という根源である『道』を獲得しているもの、それらをあげてみると。
天はこの一を得て、清澄である。
地はこの一を得て、安定している。
神はこの一を得て、霊妙である。
川谷はこの一を得て、満ちている。
万物はこの一を得て、生成している。
王侯たちはこの一を得て、世の指導者となっている。

それらはすべてこの一という原則によってなっている。

天は清澄でなければ、裂けてしまうだろう。
地は安定していなければ、崩れ落ちてしまうだろう。
神は霊妙でなければ、絶えてしまうだろう。
川谷は満ちていなければ、枯れ果ててしまうだろう。
万物は生成しなければ、消滅してしまうだろう。
王侯たちは指導者とならなければ、国が滅びてしまうだろう。

貴いものは賎しいものを基本として、高いものは低いものを基本としている。
そのため、王侯たちは自称して自分たちのことを「孤児」とか「独り者」とか「不幸せ」とかいう。
これは貴さは賎しさを基本としているからではないだろうか。
そうではないか。
だから、多くの栄誉を求めようとすると、かえって栄誉を失うことになる。
高貴な宝玉とか、とか、つまらない石ころとか、どちらも望むところではない。
良い悪い、多い少ないなどということは、一があってからこそ存在する。

一という根源である『道』こそが落ちつくべきところなのだ。

 

原文
「昔之得一者,天得一以清,地得一以寧,神得一以靈,谷得一以盈,萬物得一以生,侯王得一以為天下貞。其致之,天無以清將恐裂,地無以寧將恐發,神無以靈將恐歇,谷無以盈將恐竭,萬物無以生將恐滅,侯王無以貴高將恐蹶。故貴以賤為本,高以下為基。是以侯王自稱孤、寡、不穀。此非以賤為本邪﹖非乎﹖故致數輿無輿。不欲琭琭如玉,珞珞如石。」

世界は自分自身の鏡

私たちの五感を観察してみると、

目は、自分のことを見ることはできない。
皮膚は、自分のことを感じることはできない。
耳は、自分のことを聞くことはできない。
舌は、自分のことを味わうことはできない。
鼻は、自分のことを嗅ぐことはできない。

同じように、人は、自分自身のことは認識できない。
自分以外のものを認識することによって、自分自身の立場を確認している。

つまり、私たちは自分自身のことを自分以外のものからでしか認識できていないのです。
自分自身の認識は、常に他者との関係においてでしかできないのです。

これが、世界は自分自身の鏡だ、と言われる所以なのです。

私たちが世界を見ているとおりのことが、実は私たち自身のことを表しているのです。

自分が世界を認識した途端に、その認識している対象に自分がどんな関わり方をしているのか、を表します。

世界がダメだと思ったら、世界がダメだと思っている私が在るということ。
人のことを気持ちよく感じたら、人がよいのではなく、認識している私がその在り方を選んでいるということ。
環境や状況について思っていることは、状況についてではなく、私たちの在り方を現しているということなのです。

だから、状況自分の在り方の鏡、反映なのです。

今ここに、何を感じるでしょうか。
今ここに、何を思うでしょうか。
それが、今のあなたです。

では、
次の瞬間(つまり今ここ)、
あなたはどんなあなたで在りますか。

いつも(つまり今ここで)感謝の中にあること。

ありがとうございます。

大学受験−物理の勉強法

ここでは、受験物理の最もシンプルで最良の勉強の仕方を紹介します。
やる気のある人のための勉強法です。

まず、『物理のエッセンス』(全二冊)で基礎固めをします。
学校のノートを完璧にとっている人は、それを参照しながら問題を解くと良いでしょう。
そうでない人は、解説をきちんと読み理解してから、公式や概念などをノートにまとめ、例題と演習を全て解きましょう。
特に注意するべき点は、図を必ず描くということです。 うまく描けるまで何度も描き直して下さい。

物理のエッセンス 力学・波動

物理のエッセンス 熱・電磁気・原子

『物理のエッセンス』はできるだけ短期間で学習すると良いです。できれば一ヶ月で一通り終わらせます。
物理が得意な人は一回、普通の人は最低二回、得意でない人は三回は繰り返してやりましょう。

『物理のエッセンス』と同時に、より理論を深めるために『物理教室』を参考にします。
『物理のエッセンス』で説明が足りないところ、より深く理解したいところを調べるために使います。


『物理教室』

一通りできるようになったら、応用問題に進みます。『名門の森 物理』(全二冊)です。
時間に余裕のある人、応用問題が難しい人はまず『良問の風 物理』をやってから『名門の森 物理』に進みます。

『良問の風 物理』
 『名門の森物理 力学・波動』
『名門の森 物理 電磁気・熱・原子』

『名門の森 物理』は一ヶ月以内で一通り終わらせます。
問題を解く時には、どの分野のどの知識が使われているのか、何が問われているのかに注意して学習します。
分からないところや忘れたところは、すぐに『物理のエッセンス』や『物理教室』で調べ、復習と確認をします。

『名門の森 物理』を何度か解き終わったら、受験校の過去問やその他の応用問題を解きます。
難関校を受験する場合、難問題を探すのが難しいので、その場合『難問題の系統とその解き方物理』があると良いでしょう。例題と演習で300問ほどあるので、自分の計画に合わせて問題を選んで解く(例えば奇数問題だけ解く)とよいでしょう。

41CSh5NshQL._SL500_AA300_難問題の系統とその解き方物理』

 

その他、典型的な問題を学ぶために、『物理Ⅰ・Ⅱ重要問題集』や『新・物理入門問題演習』などがお勧めです。

 実戦 物理I・II重要問題集 2013年

『新・物理入門問題演習』

ほんの一握りの進学校の熱心な教師に教わっている恵まれた人は良いですが、普通の学校での授業、そこで配布される問題やプリントだけでは、受験の物理、特に難関校の物理には太刀打ちできません。
物理を好きになり、毎日の習慣の中で疑問を持ち深く理解していこうとする態度が大切です。

ヨガポーズ集

ヨガポーズ集

日本語

English

下向きの犬のポーズ Downward-Facing Dog
逆立ちのポーズ Handstand
合掌のムドラー Salutation Seal
半蓮華坐の前屈ポーズ
半月のポーズ Half Moon Pose
半・魚王のポーズ
ひねりのポーズ
Half Lord of the Fishes Pose
半・英雄のポーズ Half Hero Pose
合蹠のポーズ Bound Angle Pose
鶴のポーズ Crane Pose
子供のポーズ Child’s Pose
バラドゥヴァージャ聖仙のポーズ Bharadvaja’s Twist
コブラのポーズ Cobra Pose
手足で支えた棒のポーズ Four-Limbed Staff Pose
手足で支えた棒のポーズⅡ
板のポーズ
Plank Pose
棒のポーズ Staff Pose
弓のポーズ Bow Pose
上向きの二本足の棒のポーズ Upward Facing Two-Foot Staff Pose
一本足の鳩王のポーズ One-Legged King Pigeon Pose
胎児のポーズ
鷲のポーズ Eagle Pose
牛面のポーズ Cow Face Pose
牛飼いのポーズ
鋤のポーズ Plow Pose
猿王のポーズ Monkey Pose
頭を膝につけるポーズ Head-to-Knee ForwardBend
耳を押さえるポーズ
鷺のポーズ Heron Pose
雄鶏のポーズ
亀のポーズ
花輪のポーズⅠ Garland PoseⅠ
花輪のポーズⅡ Garland PoseⅡ
Marichi’s PoseⅠ
Marichi’s PoseⅡ
Marichi’s PoseⅢ
ネコのポーズ cat pose
魚のポーズ Fish Pose
シヴァ神のポーズ Lord of the Dance Pose
舟のポーズ
足と手のポーズ
蓮華のポーズ
蓮の花のポーズ
Lotus Pose
かんぬきのポーズ Gate Pose
舟のポーズ Full Boat Pose
ひねった頭を膝につけるポーズ
ひねった体側のポーズ
体側をねじるポーズ
Revolved Side Angle Pose
ひねった三角のポーズ Revolved Triangle Pose
横の鶴のポーズ
横の前屈のポーズ Intense Side Stretch Pose
輪縄のポーズ Noose Pose
座った前屈のポーズ Seated ForwardBend
羽を上げた孔雀のポーズ Feathered Peacock Pose
足を広げた前屈のポーズ Intense Spread Leg Stretch
バッタのポーズ Locust Pose
支えた肩立ちのポーズ Supported Shoulderstand
支えた頭立ちのポーズ Supported Headstand
しかばねのポーズ Corpse Pose
橋のポーズ Bridge Pose
ウサギのポーズ Hare Pose
達人座 Perfect Pose
Accomplished Pose
獅子のポーズ
ライオンのポーズ
Lion Pose
頭立ちのポーズ Headstand
安楽のポーズ Happy or Easy Pose
simple cross-Legged Position
横たわった合蹠 Reclining Bound Angle Pose
横たわった(眠る)亀のポーズ Reclining Tortoise Pose
横たわった親指のポーズ Reclining Big Toe Pose
横たわった英雄坐 Reclining Hero Pose
横たわった開脚のポーズ
山のポーズ Mountain Pose
天秤のポーズはかりのポーズ Scale Pose
V字バランスのポーズ
Upward Abdominal Lock
座位で行なう開脚のポーズ Open Angle Pose
same-angle pose
/lateral split
上向きの弓のポーズ Upward Bow Pose,
Backbend, or Wheel
上向きの犬のポーズ Upward-Facing Dog
ラクダのポーズ Camel Pose
椅子のポーズ Chair Pose
立った前屈のポーズ Standing ForwardBend
立位の脚上げポーズ
伸ばした手と足の親指のポーズ
体側を伸ばすポーズ
伸ばした体側のポーズ
Extended Side Angle Pose
三角のポーズ Extended Triangle Pose
ダイヤモンドのポーズ Diamond Pose
Side Plank Pose
Wind Releasing Pose
逆転のムドラー
逆転のポーズ Legs-Up-the-Wall PoseInverted Leg Stretch
ヴィーラバッドゥラのポーズⅠ
戦士のポーズⅠ
Warrior Pose Ⅰ
ヴィーラバッドゥラのポーズⅡ
戦士のポーズⅡ
Warrior Pose Ⅱ
ヴィーラバッドゥラのポーズⅢ
戦士のポーズⅢ
Warrior Pose Ⅲ
英雄のポーズ Hero Pose
木のポーズ Tree Pose

老子超訳(第三十八章)

大丈夫真の「徳」を持っている人は、ただ『道』に従っているだけで、自分の徳を徳と意識している訳ではありません。
それだからこそ、徳が身についているといえるのです。
「徳」が十分でない人は、自分が持っていると思っている「徳」を、どうにかして失うまいとしようとします。
それだからこそ、徳が身につかないのです。
真の「徳」を持っている人は、「無為」の状態なので、何かをしたという後が残らないのです。
仁がある人は、仁をなしていながら、その後を残さないのです。
義がある人は、義をなしていながら、それをわざわざ外に表そうとしているです。
礼がある人は、いろいろなことをなし、相手がその礼に応えないと、無理に相手を引き込もうとするのです。
してみると、
「道」が失われてはじめて「徳」が生じ、
「徳」が失われてはじめて「仁」が生じ、
「仁」が失われてはじめて「礼」が生じます。
「礼」という形だけの行為は、結局、忠や信の欠如であって、そもそも様々な問題の始まりなのです。
仁、議、礼などを前もってわきまえるという考え自体が、真の『道』の本質が失われたものであって、愚昧の始まりなのです。
そのため、しっかりした人は、自分自身を『道』の実質に置いて、決してそこから離れず、
その実質的なことに従って生き、見た目だけに従うことはないのです。
したがって、『道』の本質によってのみ生き、些末な現象には惑わされないのです。

 

原文
『上德不德,是以有德;下德不失德,是以無德。上德無為而無以為;下德為之而有以為。上仁為之而無以為;上義為之而有以為。上禮為之而莫之應,則攘臂而扔之。故失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。夫禮者,忠信之薄,而亂之首。前識者,道之華,而愚之始。是以大丈夫處其厚,不居其薄;處其實,不居其華。故去彼取此。』

老子超訳(第三十七章)

自定

 

真の『道』は常に「無為」であるけれど、どんな物事もその働きによらないものはないのです。
すべてのことがそれによって成し遂げられているのです。
リーダーたちが、統治において、この『道』の働きを保つことができるなら、あらゆる物事が感化され、自然に成長することでしょう。
もし感化されながらも、自分勝手な欲望が生じたならば、「無名の素朴なもの」によってそれを鎮めることでしょう。
実に「無名の素朴なもの」が欲望のない状態をもたらすでしょう。
そして、世界は自然と安定した状態になるでしょう。

『道』から外れたものを『道』に戻すには、ルールや刑罰ではなく、
「無名の素朴なもの」、つまり『道』そのものの在り方で、無欲に導く以外には無いのです。
『道』から外れないこと、結局それだけが究極の感化の仕方なのです。

 

原文
道常無為而無不為。侯王若能守之,萬物將自化。化而欲作,吾將鎮之以無名之樸。無名之樸,夫亦將無欲。不欲以靜,天下將自定。

 

老子超訳(第三十六章)

柔弱

もしそれを小さく抑えたいと思うならば、しばらく拡張して大きくすることです。
もしそれを弱くしたいと思うならば、しばらく強く増長させることです。
もしそれを廃れさせ廃れさせたいと思うならば、しばらく力を与え興起させることです。
もしそれを奪い取りたいと思うならば、しばらく施し与えることです。
これを奥深い明智といいます。
柔かく弱いものが堅く強いものに打ち勝つということなのです。
魚が深いふちに潜んで安全でいるように、国を治めるのに有効なものは、むやみに人に見せないことです。

経営や管理、指導や教育、あらゆる人間関係、そしてグループや国際関係においても、その変化のタイミングを知っていることが重要です。
ものごとや行為者の性質を観察し、うまくいかないことをより顕著に表すことによってその性質を際立たせ、
そのものごとが行きつく先を示し、それがうまくいかないことを行為者自身が納得し改善することを促すことなのです。
あらゆる行為には行為者の自主性があり、意図があり、タイミングがあり、それに合わせて変化を促すことなのです。

 

原文
「將欲歙之,必固張之;將欲弱之,必固強之;將欲廢之,必固興之;將欲奪之,必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脫於淵,國之利器,  不可以示人。」