Day 10 : そして、調和

モノとの関係から始まったシンプルライフは、モノや人間との関係、状況や自然との関係が感謝の中で調和したものになってきます。
無駄なモノ、無駄な行為、無駄な人間関係、無駄な環境というものは、実は私たちが過去や未来にとらわれていて、今ここにない状態の現れだったのです。

今ここに在ると真の意味での調和を体験します。意識の過去や未来あそこやここへのブレがなくなるので、自然に調和するのです。よく言われるような「今ここに集中しなさい」というような集中力などいらないのです。集中力というような力での対立はそこにはありません。ただ余計なものをなくしただけなのです。それだけで調和が現れます。そこには真の生命という最高のパフォーマンスが現れます。

物事がうまく行かない時、気分がすぐれない時、自分の本当にやりたいことが見つからない時、そのような時には、身の回りの不要な物の処分や片付けをしてみてください。迷っているときは過去や未来にとらわれて、今ここにいないものです。まずはシンプルライフの基本に戻ってみてはどうでしょうか。いらないものを処分し、モノをあるべきところに戻し、使っているモノは感謝の気持ちで使う。モノの調和から心の調和を思い出し、人生を調和の中で過ごしていきましょう。

シンプルライフにはゴールはありません。スタートがあるだけです。そこから、ただ「今ここ」に気づき、感謝と調和の中で変化していくだけです。現代の思考は調和からかけ離れているため、調和の中に在るには多くの努力が必要に見えますが、全くそうではありません。自分でないものに気づくことで、本当の自分(実は自分以上の存在)を思い出すということなのです。思い出すと、自分は世界と一体になり変化そのものになります。

私が言葉で表現できるのはここまでです。あとは自分で体験するしかありません。このような言葉さえ要らなくなるのです。

そして、再び不要な言葉を手放すことから始まります。

Back to Day 1.

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

Day 9 : 他人のガラクタ

シンプルライフの旅の途中で、初心者が必ず通る段階があります。

自分のガラクタや不要なモノを処分して自分の周りがキレイになっていくに従って、他人のガラクタや不要品が気になり始めるのです。
『なんであの人はあんなにガラクタを集めているのだろう』とか、『何でもう少しキレイにできないんだろう』とか、『自分はこんなにキレイにしているのに、なぜあの人は汚いままなんだろう』とか、あるいはもっと激しい感情を持ちます。

シンプルライフは心の中もシンプルです。不平不満というのは心の中のガラクタです。他人に対して不平不満の気持ちが起こってきたら、自分の心の中にガラクタがあると考えてください。実際のガラクタや不要品を処分し、モノレベルで生活をシンプルにするというのは、それに関わる心や生き方全てに影響を与えるために行っているのです。ですから、この不平不満の段階を超さないと、再びガラクタの部屋に逆戻りというパターンが多いです。人をそのままの存在として認め、自分のことに集中することが大切です。

私の場合もやはり、共同で使っているモノは気になりました。自分がキレイに片付けているのに他の人が汚くする、と不平不満を言っていたものです(これは控えめに言っています。本当は罵詈雑言でした)。しかし誰でも冷静になって考えれば、また自分に置き換えてみれば、他人を変えることなどできないと分かります。人が変わるのはその人が変わろうと思った時だけです。そして、それをふまえると、不平不満を言うだけ自分が損だということも分かります。結局、不平不満は自分の心を不安定にし、ガラクタだらけにしているのです。

ですから、シンプルライフを実践していくと、心の中もキレイにシンプルになっていくのです。自分の持っているモノ、自分の部屋、これらは自分の心の鏡なのです。鏡を見て自分の顔や姿を見られるように、自分の心もそれが映し出されているモノで見ることができるのです。

私のシンプルライフも少しずつ進んでいます。シンプルライフの実践で様々なことが分かってきましたが、やはり一番大きな影響を与えられたのは、2011年3月11日の大震災以来の人々の心の変化でした。多くの人がシンプルライフを実践し始めています。しかし、モノや財産、知識や情報に未だにこだわり苦しんでいる人も多くいるようです。世界が変化しているのに自分が変化しないと苦しみます。全ては変化しているのです。私たちは全てと一体なのです。私たちは変化という経験そのものなのです。

To be continued.

Day 8 : ミニマリスト Minimalist

家の中のモノを、処分し、整理し、必要なものだけにすると、外出するときの持ち物にも変化が現れました。

以前は、大きめのビジネスバッグ(デイパック)に
ノートパソコン、
iPad、
iPod、
電子辞書、
手帳、
筆箱、
ノート、
本数冊、
ハンカチ、
テッシュペーパー、
ペットボトル、
チョコレート、
香水、
サングラス、
などを入れて持ち運んでいました。
最低限のバッグの中身がこれだったのです。近所に買い物に行くのにもこのバッグを持ち歩いていたのです。そうでない時はこれ以上のものが入っているのが普通でした。仕事の時はこのバッグ以外に大きな仕事用バッグが加わり、車で移動の時は二つの大きなバッグ、電車やバスで移動の時はビジネスバッグとキャリーバッグを持ち歩いていました。

ミニマルライフを目指して、ほぼ家の中のものが片付くと、外出時に持ち歩いていたモノも同じように考えることができ、今では買い物には財布とカードケースだけを小さなバッグで持ち歩き、遠くに行く時もそれにボトルだけが加わるというだけになりました。仕事の時もその財布とカードケースの入ったバッグを仕事用の大きめのバッグの中に入れるだけ、というようになりました。

つまり普段の私の持ち物を以前と現在で比較すると、

*以前:上に記した通り膨大な荷物。

*現在:財布、カードケース、鍵、iPhone、ブルートゥースイヤホン。

ということになります。

荷物がなくなると体が軽くなるのはもちろんですが、心も非常に軽くなります。何かのため、もしも何かあった時のためにいろいろなものを背負い込んでいた荷物は、心の荷物にもなっていたのです。

心が軽くなると、考え方もシンプルになってきます。考えがシンプルになると、話もシンプルになってきます。話がシンプルになると、行動もシンプルになった来ます。行動がシンプルになるとモノや人間との関係もシンプルになってきます。

これが、今、私が目指しているミニマルライフです。

To be continued.

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

Day 7 : 自分とモノとの関係

人によって、集めているものやこだわっているものは異なりますが、私の場合は一番の執着が本に対してだったので、本を手放すことができると他のモノを手放すのは簡単なことでした。未だに手放していなかった価値があると思っていたもの、例えば、高価な装飾品やパソコンやオーディオ類、比較的高価な衣服や靴、ゴルフクラブセットや自転車、様々なモノを手放しました。物置の部屋からはモノがなくなりました。

部屋の乱れは心の乱れ、と最初に書きましたが、実は自分の心の在り方は、モノとの関係だけでなく、人との関係、そしてその他の生活や行動の全てに現れているのですね。

あまり関心を持っていないものを所有しているというのは、自分自身も今ここを真剣に生きていないことを反映しているのです。そういう時は毎日が何となく終わったという気持ちで過ごしていることでしょう。

モノが少なくなり、使っているモノに自分の関心が向けられるようになると、今度は普段使っているモノでも、本当に気に入って使っているモノが少ないことに気がつきました。使えるならどれでも良いや、という感覚で買ってしまったモノがとても多かったのです。例えば歯磨き粉は泡立っていれば良いくらいにしか思っていませんでしたので、毎回違ったもの(たいていドラッグストアでセールで売っていたもの)を使っていました。今は効能などを調べ、良さそうなものを使ってみては失敗して、試してみてはやめて、今では本当に気に入ったものを使っています。水を持ち運ぶのに以前はペットボトルを使っていたのですが、今では耐久性、耐熱性に優れたボトルを買い、それを大切に使っています。自動車も乗れれば良いやと、近所の洗車サービスがある近所のガソリンスタンドに行く時だけ洗車をし、車内は一度も掃除をしたことがありませんでした(いや買ってから一ヶ月目に一度だけありました)。今は洗車機ではなく、自分の手で洗車しワックスをかけています。その他所有している細かなモノについても、大切に管理し使っています。

こうして、持っているモノとの関係を見直し、本当に良い関係のモノだけを残して、それを大切に使い管理し、関係の薄いものは手放すということを、繰り返し繰り返し行ってきたのです。これは今でも続いています。自分が成長し変わるとモノとの関係も変わってくるからです。

To be continued.

Day 6 : モノには戻る場所がある

モノとの生きた関係を結ぶようになると、それぞれのモノが自分のいるべき場所を持っているということに気がつきました。モノも人間と同じように働いて、帰って休む場所があるのです。

例えば、包丁はまな板の上で肉や野菜を切り、それが終わったら包丁置きや引き出しの中に戻されます。タオルは水分を吸い取った後、洗濯され引き出しやタオル置きにしまわれます。ペンはものを書き終えたらペン立てや引き出しに戻されます。

そうして、全てのモノが帰る場所を作ることを始めたのです。机やタンスの上や床というのは、たいていの人が様々なものを置いているようです。私も例外ではなく、机の上には、横積みにされた数冊の本(以前は数十冊はありました)、ペン立てとペン皿に一杯のペン、テレビ、モニター、スピーカー、マウス、携帯電話、電子辞書、システム手帳、メモ帳、ポストイット、電話の子機、卓上時計、など。タンスの上には、履いていない靴の箱、コピー用紙、腕時計、家や車の鍵、瞬間湯沸し器、補助栄養食品、香水、携帯ボトル、など。床の上には、道具箱、バッグ、加湿器、タワー型パソコン本体を乗せている金属製ラック、など。

まずは机の上にあるモノ全てに居場所を作ってあげました。本は本棚、手帳や電子辞書、パソコンやマウスは引き出しの中(これを実現するためにDELLからMacに変えたのです)、その他すべて机の上からあるべき場所に移動しました。今では仕事をしていない時の私の机の上にはスピーカーのみ、タンスの上は何も置いていません。

この作業をしていると、すぐにモノの居場所つまり収納場所がなくなってしまいました。いつも収納してあるモノと同じくらいの量のモノが収納していないままだったのです。

もちろん、その後は再びモノを手放す作業をしました。自分が大切に思っているモノでも使っていないものはたくさんあるのです。これらを手放すのは大変でした。処分する袋に入れた後、また戻すということを繰り返していました。手放すためにこのように考えました。自分がこのモノを持っているよりも、このモノを大切に使ってくれる人のところに行った方が、このモノにとっては幸せだろうな、と。そうして、使っていないほとんどのモノが新しい所有者のもとに旅立ちました。

モノをなるべく所有せずに生きていくということが、アメリカではミニマリズムという言葉で流行っています。
日本でも『減らす技術 The Power of LESS』の著作があるLeo BabautaのZen HabitsやJoshua Fields Millburnのthe Minimalistsというサイトはかなり参考になりました。

これら作業もかなりの時間がかかりましたが、この間に、本好きの私の部屋からは本棚が一つもなくなったのです。読んでいる数冊の本はカラーボックスの一画に置いてあります。

本棚がない。これは私にとっては革命的なことなのです。本という媒体を通しての知識に執着していた私には、「さて、自分には何もなくなった。これからどう生きていこうか?」という感覚でした。しかし、なぜか心が軽くスッキリとしていました。

To be continued.

 

Day 5 : モノとの生きた関係

何も必要なものはなく、何にでもアクセスできる、と分かると、何かを所有するときにはできるだけ良いもの、質の良いもの、自分がワクワクするようなモノを選ぶようになります。より大切にするようになります。

そのことを理解するきっかけになったのが『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻里恵)という本でした。この本と『新・片づけ術「断捨離」』(やましたひでこ)の2冊がお勧めです。日本の書籍ではこの2冊を読めば十分なほどです。

例えば私の場合、コーヒーを飲む時のマグカップをいくつも日替わりで使っていたのですが、それを全て処分し、真っ白な一番お気に入りのカップを毎回使っています。予備のカップは一つもありません。

また文房具が大好きなので、いろいろなものを集めて使っていましたが、全て処分し、ペンは数百本ほど使っていたのが、WATERMANのボールペンとシャープペン、3色ボールペンだけを使うようになりました。ノートもバインダーノートや大学ノート、リングノートなど様々な種類とサイズのものを使っていたのですが、今はMOLESKINEのノートだけを使っています。

パソコンはDELL製のタワー型のパソコンとノートパソコン3台、その他プリンタや外付けハードディスクなどの周辺機器をいくつも使っていたのを(配線がぐちゃぐちゃになります)、今はMacBook ProiPad2 、ベースステーションとしてTime Capsule 2T 、スピーカーにはCreative製のもの使い、全てWi-FiとBluetoothでつながりスッキリとしています(シンプルライフを目指す人のパソコンにはMacがお勧めです)。

これらはほんの一例ですが、その他、衣服や靴、道具や寝具、所有しているもの、あるいは使っているものは、自分との生きた関係をもっていることに気がつき、本当に気に入ったものワクワクするものだけを買うようになりました。ただ欲しいから買うのではなく、本当にそのモノを大切な友達のような関係が持てるのかが、購入時の判断基準になりました。

ここまでくるのには本当に長い時間がかかっています。少数の大切なものに囲まれるまでに、おびただしい量のモノを買い、捨てることを繰り返しました。買ったり捨てたりという実際の行為を通して初めて、自分が何が好きなのか、自分とはどんな人間か、というのが分かってきたのです。

To be continued.

 

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

Day 4 : 必要なものはない

モノを所有していると、それを保管するところが必要ですが、それが必要なくなったので、ほとんどの入れ物(タンスや本棚、収納用の棚や箱)を捨て、どうにか部屋に空間が戻りました。

ところが、油断しているとすぐにモノで溢れ散らかります。空間を保ち続けるには、何か新しいものを買うたびに古いものの処分を行わなければなりません。それは続けているとかなりのストレスになるのです。

これはもう新しいものを買うのを止めるしかありません。まず本から買うのを止めました。本はほとんど図書館で借りることにしました。近所の図書館はインターネットで検索や予約ができるので、目的の本を書架から探す必要もないのでとても便利です。

本だけでなく、一年に一度しか使わないようなものは借りるのが一番です。現代はいくらでもモノや情報にアクセスできるので、もしもの時のために何かを持っているというのは、そこに気を使うことや保管場所のことを考えるとかなりのお金とエネルギーのロスになります。それに困る時のことを考えて生きているよりも、困ったときどんな工夫ができるかを考えた方が良いでしょう。

数ヶ月間はそれで何の不便もなくやってきましたが、図書館なので本屋で平積みされているような流行りの本はあまりなく、やはりそのようなものは自分で買う以外ありませんでした。また、一度読んだ本はすぐに手放していたので、もう一度参考にしたいと思ったときには困りました。本屋に行って買ったことのある本を立ち読みしたこともありました。

ある時、図書館の本を検索していましたら、以前自分で購入した本が図書館の蔵書にあるのが分かりました。「自分が買ってもう一度読みたくなりそうな本が図書館にあれば借りられるのになあ」と考えていました。

すぐに、そういう本は図書館に寄贈すればいいんだ、と思い、それからは買って再読したくなりそうな本や分厚くて高価な本は、全て図書館に寄贈するようにしています。

物事にすぐにアクセスできる安心感というのはかなり大きなものなのですね。買ったものが図書館にあり、いつでも借りられるというのは、本にこだわっていた私にはとても大きな安心感でした。

そして、その安心感から本の所有欲というものがどんどん消えていったのです。それからは、どうしてもあるモノや情報が欲しいと思うことが無くなりました。なんでも必要なとき必要な分だけアクセスできる、と感じるようになったのです。

To be continued.

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

Day 3 : ようやく部屋に空間が

さて、本の所有を本棚2つに収まるように決め、(以前より)スッキリしたと思って生活をしていました。
しかし、何かが変わったという実感が全くなかったのです。
相変わらず、本はたくさん読み続け、本棚に収まるような量を超えると、それをまとめて売りに行くことを繰り返していたのです。30分で読み終わってしまうような1500円ほどのビジネス書や自己啓発本を買っては売り買っては売り、その繰り返しに気づいたのは、大量の本を処分した数年後でした。

きっかけは『新・片づけ術「断捨離」』でした。
片付けや整理術についての本はいくらでも出版され、ほぼ読み尽くしていのですが、この『断捨離』ほど「よし、やろう」と思った本は初めてでした。
どんな本も、溢れかえったモノや情報をどう整理整頓して行くか、どれだけ早く処理していくかについてしか述べておらず、何を捨てて何を残すかについてはほとんど述べられていませんでした。

捨てるということを意識して自分の部屋を見てみると、あるある、どれだけ無駄に放置されているものが多くあるのか気がついたのです。
実は、本棚2つ分の本をキープしていたのは良かったのですが、使っていない本棚が3つも部屋に放置されているのです。
着ないスーツが入っているタンスが部屋の一角を占領しているのです。使わないカラーボックスが5つも積み上げられているのです。
その他、使っていないインラインスケート(ベルトが腐っている)、幼少期からの絵のコレクション(誰が見て喜ぶのか?)、 テーブルコタツ(そうじの邪魔になっている)、高校生の時のサッカーのユニフォーム(思い出の為に残したのか?)、マイクロソフトのOfficeが5セット(どれがどのパソコンについていたのか?)、中国語辞典が入っている電子辞書(中国語は3ヶ月で断念)、予備で買っておいたレッスン用バレエシューズ10足(もうとっくに現役引退してる)、いやいや出てくる出てくる。
これまで、一体何を整理整頓してきたのか、愕然としました。

とにかく、それに気がついてから、今度はブックオフではなく近くの清掃センターへ処分品を運び続けました。全部終わるのに数ヶ月かかりました。その間も以前の精神構造に戻らないように『断捨離』を再読しました。この本には本当に助けられました。

そして、ようやく 部屋に空間が戻り始めたのです。

To be continued.

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

Day 2 : 本、本、本

さて、私のシンプルライフの旅は本の処分から始まりました。
なぜ、本なのかというと、本が所有物の中で一番多かったからです。
私は読書好きで、学生の頃から毎日のように本を読んでいました。多い日には毎日6冊ほど読んでいました。それに比例して買う本も多く、大学を卒業してからは毎月20万円ほど本代に使い、年間500冊以上は読んでいました。これらの本が溜まりに溜まっていたわけです。

まず最初に、絶対読まないであろうという本を処分することから始めました。
当時はブックオフではなく、一番近くにある古本屋を利用しました。
全集本の処分からです。プラトン全集、アリストテレス全集、岩波講座哲学、岩波東洋思想全集、岩波物理学全集、ロマンロラン全集、泉鏡花全集、シェークスピア全集、様々な全集を売り払いました。
次に文庫や新書です。 扱いが悪いためホコリだらけシミだらけの本をダンボール一箱当たり数万円という価格で買ってもらいました。

その後、語学書(語学書は英語をはじめ、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、韓国語、中国語、ラテン語、古代ギリシャ語など数千冊)、哲学書(主に西洋哲学書)、英語のペーパーバック(シェークスピアから流行り本数千冊)、スポーツ本などを処分し、最後に自己啓発関連、医学書、芸術関連書、辞典類を処分しました。これを行うのに2、3年かかっています。 後半はほとんどブックオフに持っていきました。売り物にならない本も処分してくれるので助かりました。

一ヶ月に一度くらいのペースで、数十箱の本を車に詰め込みブックオフに売っていました。車の助手席、後部座席、トランクをすべて埋め尽くす量を運んでいたので、重量で車のサスペンションがつぶれたまま運転したので、サスペンションがすぐにいかれてしまいました。

結局自分の中で決心したのは、本は本棚2つに収まる量だけを所有する、ということでした。その後1、2年はそれで満足していました。自分ではよくやったと思っていたのです。

とにかく本の量がすごかったので、他のものには頭が回らなかったに違いありません。まだまだ様々なものを所有していましたし、本も外出しても数冊持ち歩いては読んでいました。
10年ほど前にヨガを習っていたのですが(今は指導しています)、指導者の人たちが皆、私の持ち歩いている本を見て「余計なものをいろいろ背負っていますね」と言っていましたが、気にはなっていたのですが、その時もその意味はあまり実感できませんでした。 まだまだ余計な知識大好き人間でした。もちろん何がいけないのかは理解していませんでした。

To be continued.

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ

部屋の乱れは心の乱れ、とよく言いますね。
最近まではこの言葉にそれほど深い意味を感じませんでした。しかし、今流行りの片付け術の本を読み、所有物を絞り込み、整理整頓を実際に行ってみると、これほど深い言葉はないと思い始めました。
そう思うまでに、本当に長い時間がかかりました。

片付けというものを始めたのは数年前でしょうか。読書好きな私は、毎日数冊、多い時は10冊ほどの本を読み、また読む本が無くならないように、それ以上に本を買っていました。思想書や語学の本は街の本屋さんの数倍の蔵書量でした。
読んだあと手放しても良い本はダンボール数十箱単位で人にあげていました。ある時は後輩に30箱の本を貰ってもらい、その後輩は一部屋を書庫に変えたほどでした。
本だけではなく、自分が活動しているあらゆる分野の道具や関連物が家に溢れかえっていました。例を挙げると、パソコン4台(もちろん1台しか使っていない)、スノボー3枚(全く使っていない)、スノーボードウェア上下5セット(1セットを1回使っただけ)、サッカーボール5個(時々一つをリフティングに使っているだけ)、語学書(英語、ドイツ語、フランス語、韓国語、イタリア語、スペイン語、ロシア語。一言語につき100冊ほど、計数百冊。英語の一部しか使っていない)。一度ずつしか着ていないスーツやジャケット類、それを保管する意味のない縦型洋服ダンス。。。
その他いろいろ。
もちろん部屋は本とスポーツギアの入ったダンボールで埋め尽くされ、ベランダにも体を横向きにして段ボールの間をすり抜けないと出られないほど(冬は壁中が段ボールで埋まっているので非常に暖かかった)。ものが多すぎて掃除機がかけられずホコリだらけ、いや、ホコリがもはや土になりかけているほど溜まっていました。

いつから片付けを始めたか記憶が薄いですが、おそらく当時流行った「そうじ力」の本(舛田光洋)を読んだ頃からでしょうか。それが5、6年前でした。

ダンボール倉庫と化した部屋を初めて汚いと思い始めたのが5、6年前なのです。
「部屋の乱れは心の乱れ」のレベルではないですね。その例えが正しければ、私の心は腐敗状態でした。
しかしその時も、それほど自分の心が混乱状態だとは思っていなかったのです。

そしてそ、こから私のシンプルライフの旅が始まります。

To be continued.

My Journey
Day 10 : そして、調和
Day 9 : 他人のガラクタ
Day 8 : ミニマリスト Minimalist
Day 7 : 自分とモノとの関係
Day 6 : モノには戻る場所がある
Day 5 : モノとの生きた関係
Day 4 : 必要なものはない
Day 3 : ようやく部屋に空間が
Day 2 : 本、本、本
Day 1 : 部屋の乱れは心の乱れ