シンプルライフの旅の途中で、初心者が必ず通る段階があります。
自分のガラクタや不要なモノを処分して自分の周りがキレイになっていくに従って、他人のガラクタや不要品が気になり始めるのです。
『なんであの人はあんなにガラクタを集めているのだろう』とか、『何でもう少しキレイにできないんだろう』とか、『自分はこんなにキレイにしているのに、なぜあの人は汚いままなんだろう』とか、あるいはもっと激しい感情を持ちます。
シンプルライフは心の中もシンプルです。不平不満というのは心の中のガラクタです。他人に対して不平不満の気持ちが起こってきたら、自分の心の中にガラクタがあると考えてください。実際のガラクタや不要品を処分し、モノレベルで生活をシンプルにするというのは、それに関わる心や生き方全てに影響を与えるために行っているのです。ですから、この不平不満の段階を超さないと、再びガラクタの部屋に逆戻りというパターンが多いです。人をそのままの存在として認め、自分のことに集中することが大切です。
私の場合もやはり、共同で使っているモノは気になりました。自分がキレイに片付けているのに他の人が汚くする、と不平不満を言っていたものです(これは控えめに言っています。本当は罵詈雑言でした)。しかし誰でも冷静になって考えれば、また自分に置き換えてみれば、他人を変えることなどできないと分かります。人が変わるのはその人が変わろうと思った時だけです。そして、それをふまえると、不平不満を言うだけ自分が損だということも分かります。結局、不平不満は自分の心を不安定にし、ガラクタだらけにしているのです。
ですから、シンプルライフを実践していくと、心の中もキレイにシンプルになっていくのです。自分の持っているモノ、自分の部屋、これらは自分の心の鏡なのです。鏡を見て自分の顔や姿を見られるように、自分の心もそれが映し出されているモノで見ることができるのです。
私のシンプルライフも少しずつ進んでいます。シンプルライフの実践で様々なことが分かってきましたが、やはり一番大きな影響を与えられたのは、2011年3月11日の大震災以来の人々の心の変化でした。多くの人がシンプルライフを実践し始めています。しかし、モノや財産、知識や情報に未だにこだわり苦しんでいる人も多くいるようです。世界が変化しているのに自分が変化しないと苦しみます。全ては変化しているのです。私たちは全てと一体なのです。私たちは変化という経験そのものなのです。
To be continued.